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2-1
桂木君とは高校にはいってからも毎週末会い続けた。中学の間はともかく、なんで有名私立高校にはいってまで僕と会い続けるのか、僕には疑問だったが、週末になると桂木君に僕から電話をして、「じゃあ、いつもの場所に、いつもの時間で」ということになった。
僕らは中学から通っていた市立図書館で勉強した。だが、図書館ではあまりうるさくもできないので、二時間に一度くらい外に出たときに隣接する公園の木陰のベンチに腰掛けて、桂木君が読んでいる数学書について簡単な解説をしてもらったり、僕が桂木君から出題された問題に取り組んでいるときには、その途中経過や解法について話したりした。
神田の古本屋に通い始めたのもこの頃で、初めて古本屋を訪れた数日後に会ったときには、ベンチに腰掛け、僕がリュックサックから『初等整数論講義』を取り出すと、桂木君は本を手にとって声を弾ませた。
「買ったんだね。凄くいい本だよ。まあ、ちょっと難しいところがあるかもね。分かんなかったら言ってよ、説明するから」
パラパラとページをめくり、後ろの方のページに挟まった切り抜きを手に取ると、まじまじと見てから、桂木君は訊いた。
「これ、どうしたの?」
「うん? 何か最初から挟まってて──」
「アンリ・ポアンカレじゃないか」僕の答えに被せるように桂木君は言うと、眼鏡の奥の目を見開き、僕に顔を向けて続けた。「これはアンリ・ポアンカレっていう数学者だよ。へぇー、何の切り抜きだろう。ああ裏にも肖像画がある。数学辞典だな。偉大な偉大な数学者だよ。数学だけじゃなくて物理とか天体力学でも重要な仕事をしてる」
桂木君は一息ついてから、ぽかんとしている僕に向かって尋ねた。
「ポアンカレ予想って聞いたことある?」
僕が頭を振るとすぐに、「ポアンカレが提出した位相幾何学の問題で、百年解かれていないんだ。百年だよ、百年」と興奮気味に話し、僕が何も言わないとさらに熱を込めて訴えかけてきた。
「その間に何人の数学者がこの問題に挑んできたか。世界最高の数学者が何百人か、いや何千人。その誰一人として、この問題を解決した人はいないんだ」
「へぇー、フェルマーの最終定理みたいだね。あっちは三百五十年未解決だったんだっけ?」
僕が何気なく、一年ほど前にその解決がニュースでも報じられた整数論の難問の話を出すと、
「いやいや、全然違うよ。いや、ほんとに」
と言って、桂木君はぐぐっと体を寄せてきた。
「いや、確かに長年未解決だったっていうのは同じだけど、フェルマーは整数論で、こっちは位相幾何学だし」と、桂木君はつけ加えてから、一呼吸おいてうつむき、ぶるぶるぶるっと頭を小刻みに左右に振った。桂木君の寝ぐせが僕の頬に触れそうだ。
桂木君は顔を上げると、僕をまっすぐ見て言葉を継いだ。
「いや、ごめん。怒らないでね。いやでも、もし、君がもし、もしだよ、三百五十年未解決だったフェルマーの最終定理に比べて、ポアンカレ予想は百年程度だからフェルマーの方が何倍も凄い問題なんだとか思ってたら。いや分かってる、仮定だよ、仮定の話。うん、そんな風に思ってないよね、ああ悪かった、ごめんごめん。ほんと駄目だな。ちょっと熱くなり過ぎたね。でもこれだけ。ポアンカレ予想はめっちゃくっちゃ難しい問題で、これまで何人もの数学者が挑んでは解決したといって論文を発表し、後で証明に誤りが見つかるってことを繰り返している。勿論前進はしてる。いくつか有望視されている方法はある。あるにはあるけど、その方向でも行き詰まってて、結局のところ、いつ解決するのか誰にも分からない。そう、それこそフェルマーの最終定理みたいにこれから何百年も解けないかもしれないんだ。この問題の解決は数学にとって、いや人類にとって大きな一歩なんだ。この問題が解決されれば、数学の全く新しい地平が開けるはずで……」
唾を飛ばしながらまくしたてる桂木君を見ていて、僕は桂木君も狙ってるんだ、この問題を解きたいんだと、勘違いかもしれないけどそう思って、無性に嬉しくなった。それで僕は、「桂木君ならポアンカレ予想を解決できるよ」と口にしそうになった。だけど何も言わなかった。話したらきっと桂木君は、僕が何も理解していないと思って、前にも増して熱心にポアンカレ予想がいかに困難な問題なのかということを、切々と訴えてきただろう。それについて何か言えば、また桂木君が何か口にし、また僕が返して……と、いたちごっこになったにちがいない。だが黙っていた理由はそれだけではなかった。実を言えば話を聞いているうちに、自分が解決したい、という思いが僕の中でむくむくとわき上がってきたのだ。
中学で数学が特別よくできたわけでもなく、桂木君の足元にも及ばないレベルだった僕が、そんな大それたことを考えていたとすれば、おかしな感じ、というか、滑稽な感じがどうしてもしてしまう。だが、桂木君と一緒に数学を勉強するようになってから半年くらい経っていた、その頃の僕は、桂木君との出会い、数学との出会いを運命だと思い込んでいて、そのように数学と固く結ばれた自分は、たとえ今は解けない問題があっても(僕は中学で特別数学ができたわけではなかったから、解けない問題だらけだった)、いつか偉大な成果を残せるにちがいないと、そんな無邪気な若者らしい、根拠のない自信をもっていた。
この根拠のない自信があったからこそ、桂木君から出題される問題や高校受験の問題が解けなくても、悲観的にならずに数学を続けることができていたのだった。
しかしその自信が揺らぐこともあった。
それは例えば、高校入学前から取り組んでいた、1から100までの整数の二乗和を求めるという問題の解法を知ったときだ。高校に入学してすぐの日曜日、いつもの公園のベンチに並んで腰掛けると、この前出した問題は解けた? と桂木君が訊いてきた。
「いや全然わからない」
と、僕がうつむき加減で答えると、
「そうかそうか」
と桂木君は言った。
僕がおずおずと桂木君の方に顔を向けると、桂木君は僕が思っていたような暗い表情はしておらず、逆に晴れ晴れとした顔をしていた。
桂木君は僕に労いの言葉をかけた。
「頑張ったみたいだね。分からなくても気にすることはないよ。答えを出すことより、論理的に考えていくプロセスの方が大切だからさ。面白い解法を教えてあげるね」
桂木君はリュックサックからノートとシャーペンを取り出し、自分の膝の上にノートをのせて、三角形を描いた。そしてその三角形を埋めるように上から1を一つ、2を二つ、3を三つ、4を四つという風に10までの数字を積み重ね、それらの数字の和が1から10までの整数の二乗の和になることを説明してから、その数字の山を転がすように百二十度ずつ二回回転させ、元の山と併せて三つの山をノートに描いた。それから、三つの山を重ね合わせるとどうなる? と僕に問いかけ、ノートを手渡した。
「どうって、どうなるかなあ」
僕がまごついているので、桂木君はさらにヒントを出した。
「まずいっぺんに全部の数字を見るんじゃなくて、一部分に注目して。三角形のてっぺんはそれぞれの山でどうなっているかな?」
「えーっと、元の山ではてっぺんは1でしょ。他の二つの山では10だ」
と、僕が言い終わらない内に、桂木君は、足すと? と訊き、21と僕は答えた。
桂木君を横目で見ると、何も言わずのぞき込むように僕をじっと見つめている。プレッシャーを感じた。目の前の広場ではしゃぐ子供たちと親の声が急に気になりだした。集中しなければ。一歩一歩理解するしかない。
僕は元の山の二つある2の部分に着目した。二番目の百二十度回転させた山ではこの部分は10と9、三番目のさらに百二十度回転させた山ではこの部分は9と10だった。結局、2+10+9=21、2+9+10=21で、共に山のてっぺんと同じく、足すと21になった。それで、山の他の全ての箇所でも重なり合った数字を足し合わせると、21になっているのではないかと考え、桂木君にそのことを伝えようとして顔を横に向けると、桂木君は僕が言葉にするより先に「不思議だろう」と口にした。僕の驚いた顔を楽しそうに見つめ、さらに僕がひとしきり確かめるのを待ってから先を続けた。
「で、21がいくつある? 上から一つ、二つ、三つと並べていったんだから、それらの数の和は1から10までの数の和になっているだろ? 後はわかるよね? 21に1から10までの数の和55をかけて、三個の山の和をとったんだから、それを3で割れば、1から10までの二乗の和は385が答えというわけ。100までにしてもこの方法なら簡単だろう」
僕は意外な解法に驚き、数学の美しさや不思議さを改めて実感した。しかし今回は時間をかけて必死に考えて、それでも解法の糸口すら掴めなかっただけに、時間が経つごとに悔しさが募り、また、このような解法を学んで身につけるならともかく、自分で思いつくことなど考えられなかったので、さすがに楽観的な僕でも、「自分には並の才能しかないのではないか?」とか、「この先、何か偉大な成果を残すことなど不可能なのではないか?」と自問した。さらには、「自分と数学の結びつきを運命的なものと思い込んだのは誤りだったのではないか」と、その当時の僕には耐えられないほど辛い考えが頭を過ぎった。
だが、こんなふうに自分ではどうしようもないほど不安が大きくなる場合が、あらかじめ想定されていたかのように、僕には自信の源泉が用意されていた。それは自分を無条件で受け入れてくれる相手であり、僕が投げかける決まりきった質問に、必ず肯定的な答えを返してくれる人、母だった。
夕食後にお茶を飲みながら、母に気にかかっていることを打ち明けて、求めている答えを聞くのだけれど、その答えはまず、「何言ってんの。まだ数学初めて間もないじゃない」というもので、それに対して僕が、「もう半年もやってるよ。ガウスなんか小学生から凄い数学ができてたんだよ」と言い返せば、「それは人それぞれでしょ。お前は小さいころから、すぐにわかるってことがなかったから。でも気になるとしつこいところがあったから、学者に向いているかもね。それに学者でも年とってから花開く人もいるよ。いっぱいいる」と母は断言するのだが、僕が具体例を求めると答えられない。しかし数日するとそうした学者の例を十も調べてきて、僕に示したりもした。さらにある時など幼稚園のころのことまで持ち出して、「クリスマスにやった劇、あったじゃない。覚えてる? あれでほらっ、東方の博士の役やったでしょ。やっぱり何かあるのね」などと、真剣にものを考えているような表情で首を傾けて頷き、母は一人納得していて、僕はあまりの馬鹿馬鹿しさに呆れたり突っ込んだりして、そのうちに十分な量の自信が補充されると、再び数学に戻っていくのだった。
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