2人が本棚に入れています
本棚に追加
0話:序章
「……次のニュースです。昨夜11時頃、南区繁華街にある4階建ての雑居ビルで火事があり、焼け跡から2人の遺体が見つかりました。防犯カメラに発火する人間の姿が捉えられていたことから、警察は新人類能力によるものとして捜査しています。
なお、容疑者は現在も逃走中と見られ、警察は警戒を呼びかけています。また、新人類を目撃された方は、すみやかにその場を離れて、新人類ホットラインに通報して下さい……」
「あら、これ近所じゃない?物騒ねぇ……真も気をつけなさいよ」
朝七時のニュース。朝食を並べながら、母さんがいつものように言う。
「はぁーい」
僕はそれにいつも通りの返事をして、目玉焼きの黄身に箸を入れた。
新人類。20年前に存在を認知された、従来の人類───旧人類から進化した、新しい人類。残忍な性格と特殊能力を持った彼らは、好んで旧人類を害する。そのため、新人類は専用の施設に隔離され、そこで暮らすことになった。
現在、この国では殆どの新人類が施設で暮らしている。時々、新人類の起こす事件がニュースになるくらいで、旧人類と新人類の接点はほぼ無い。
「……真。新人類には本当に気をつけろよ」
黙って新聞を読んでいた父さんがじっとこちらを見ながら言う。
「大袈裟だなぁ……大丈夫だって、新人類と遭遇する確率はすごく低いって学校でも言ってたし」
「学校の言うことを全て鵜呑みにするんじゃない。普通の旧人類が突然能力を発現して、新人類になることだってあるんだ。お前のクラスメートにだって、未発現の新人類が混じってるかもしれないんだぞ」
「中学生にもなって未発現、なんてことまず無いから。それに、仮にそんなことがあったとしてもどう気を付ければいいんだよ」
「それは……」
さっきまで大声だった父さんの声が、どんどん小さくなる。ほらね、と僕は思った。
「屁理屈捏ねないの!まったく、真は新人類の恐ろしさを知らない世代だからそんなことが言えるのよ」
「はいはい、ご馳走様でした」
母さんがため息をつく。そりゃ知らなくて当然でしょう、自分が生まれる前のことなんだから。僕は食器を流しに下げて、そのまま鞄を持って玄関に行く。
「ちょっと!本当に気をつけなさいよ!」
「はいはい、いってきまーす」
僕は適当に返事をして、玄関のドアを開ける。ローファーをスリッパ履きにしたまま、外に飛び出した───つもりだった。
「わぷっ! 」「おっと」
僕は勢いよく、何かに激突した。ローファーがどこかへ飛んでいく。なんで玄関の前にこんな壁があるんだよ。壁……壁?
おそるおそる顔を上げると、それは、知らないスーツ姿の男の人だった。
「おはようございます、突然訪問して申し訳ありません……大丈夫ですか? 」
その男の人は、僕に手を差し伸べて、にっこりと笑った。男の僕でも思わずどきりとしてしまうほど、綺麗な人だった。
「……ちょっと、真大丈夫? ……って、どなたですか」
慌てて飛んできた母さんが、警戒したような声で僕の前に立つ。いつの間にか、父さんも僕の後ろにいた。そんな様子を気にせず、男の人は二人にもにっこりと微笑みかける。
「すみません、こちら、今白真さんのお宅で合っていますよね?」
「は、はあ……」
母さんも男の人の微笑みに当てられたらしい。外行き用の変な声が出ていた。
「私、こういう者です」
そう言って、男の人は父さんと母さんに名刺を差し出す。僕にはくれなかったのがちょっとむかついた。
「……新人類、共生株式会社……」
ぎょっとしたように、父さんが言う。新人類嫌いな父さんのことだ。きっと怒鳴って追い返すだろう……しかし、男の人は先手を打った。
「はい。この度、お宅の息子さんが未発現の新人類だということが発覚しまして……」
そう言い終わらないうちに、母さんが鬼のような形相で彼を玄関へ引っ張り入れる。バタン、と乱暴にドアが閉められた。
「なんってことを言うの!!」
僕を叱る時よりも怖い形相で母さんは怒鳴った。新人類は、今でも恐怖の対象だ。うちの家に新人類がいる、なんて噂が流れたら、もうここには住んでいられないだろう。
「うちの息子が新人類な筈ないだろう!!」
父さんも怒鳴った。僕は自分が新人類だと言われたことよりも、両親二人がこんなにも怒っている状況に驚いた。
「しかし、」
「それに新人類なら、15歳にもなって発現していないのはおかしいだろう!帰ってくれ!」
父さんは名刺を男の人に突っ返した。しかし、男の人は帰るどころか、そんな様子を見て再びにっこりと笑った。ぞわり、と背筋に何かが走る。
「いいんですか、このまま新人類能力が発現しても」
「だから新人類では……」
「どうしてそうだと思い込むんです? ……いや、思い込みたいんですね」
そう言うと、男の人は鞄から二枚の書類を取り出して、父さんと母さんに見せた。二人が息を飲む音が聞こえる。
「このとおり、我が社では国からの委託を受け、学校で行われた検査をさらに詳しくお調べさせて頂いています。普通の検査では旧人類と判断されますが、さらに精密なものでは、僅かに新人類への分化兆候が見られます。この検査結果を見る限り、おそらく3年以内に新人類能力が発現するかと……」
男の人の説明が終わると、母さんは青白い顔で、へなへなと床にへたりこんだ。
「どうして……どうして、うちの子なの……? 」
「ちょ、母さん、大丈夫……? 」
僕が母さんの肩に触れると、母さんはがばりと僕を抱きしめた。
「大丈夫。大丈夫。新人類でもあなたは私の子よ、真」
耳元で、母さんがそう言った。その時、僕は、どうやら自分の想像以上に大変なことが起こっているんだなと理解した。とりあえず、母さんを抱きしめ返した。
「……この検査結果は、学校に?」
父さんが男の人に聞く。確かに、もしこれが学校に知れていたら、僕は今日から学校に行けなくなるだろう。
「いえ、まだです。新人類への分化はデリケートな問題ですからね。真っ先に本人にお話する決まりなんです」
「……そうか…………」
父さんはスゥ、と音を立てて息をすると、頭を抱えた。
新人類。僕には一生関係ないものだと思っていた。ましてや自分が新人類になるなんて、何かの冗談としか思えない。しかし、両親の様子を見ていると、これが現実なのだと痛感する。紛れもなく、これは僕の問題だ。
「……あの」
「はい。なんでしょう」
「……僕は、新人類施設に入るんですか?」
「そうですね」
新人類施設。残忍な性格を持った、恐ろしい新人類が沢山居るところ……
「怖いですか? 新人類施設が」
「……え?」
この人は何を言ってるんだろう。怖いに決まっているじゃないか。僕はうんと頷いた。
「そうですか……しかし、新人類には新人類施設に入る義務があります。知っていますね?」
……知っている。恐ろしい新人類から旧人類を守るためのルールだ。しかし、いざ自分が新人類だと言われると、ショックだった。
「ちょっと!この子はまだ新人類じゃないわ!!」
僕を抱きしめたまま、ヒステリックに母さんが叫ぶ。
「ええ、分かってますよ。しかし、私は新人類能力が発現する前に施設に入ることをおすすめします」
「……何故?」
「新人類による被害で一番多いのは、能力発現時の能力暴走なんです」
聞くんじゃなかった、と言わんばかりに父さんは壁に凭れた。僕が能力を暴走させて、人に危害を加える姿でも想像したんだろう。でも、それが一番嫌なのは、僕自身だ。
「僕、施設に入ります」
「……真」
「父さんと母さんに怪我、させたくないから」
「そんなこといいのよ、気にしなくて……」
父さんと母さんは泣き始めた。でも、僕の気持ちは変わらない。じっと男の人を見つめると、「そうですか」と小さい返事が返ってきた。
「……では、こんな施設はどうです?我が社の運営する新人類施設ですが……」
ぺらり、と一枚のチラシが渡される。それを、僕は母さんを抱いていない方の手で受け取った。
「普通の施設は、一度入ったら二度と出られません。しかし、うちの施設では、新人類能力のコントロールと残忍な性格を抑える訓練をしています。そして我が社の定める試験に合格すれば、政府に特別な許可を取り、旧人類社会に戻ることが出来ます」
「戻れる……?」
希望の光が見えた気がした。はい、と男の人は笑って続ける。
「一応、新人類には施設の監督が義務付けられているので、就職先は我が社になりますが……施設の中で生活する必要は無くなります」
その言葉に、父さんと母さんも顔を上げた。
「それは……試験に合格するまでにどれくらいかかるんだ」
「大体、二十歳までは施設で過ごしてもらいます。成績が良くても、自分で責任を取れる年になるまでは……という方針なので。でも、メールのやり取りなどはいつでも可能ですから」
「えっ、新人類施設って、メール出来るんですか」
僕は驚いて聞き返した。学校では、新人類施設は外界と完全に隔絶されると聞いていた。
「私立の新人類施設では、結構主流になっていますよ。まあ、真さんはまだ未発現の段階ですから、私立ならどこでも選べると思います」
良かったらご検討下さい、と会話を終わらせて、男の人は腕時計を見やった。
「すみません、長居をしてしまいました。そろそろ失礼致します。何かありましたら、名刺の番号にお願いします」
ぺこりと美しくお辞儀をして、男の人は帰っていった。僕は、母さんを支えながら立ち上がった。
「父さん、母さん、施設……検討しよう」
その後、僕たちは沢山の新人類施設を調べた。と言っても、新人類能力が未発現の僕は、まだ新人類ではない。だから公立の施設には入れないらしく、私立の施設を探した。旧人類の僕たちが知らなかっただけで、私立の新人類施設は意外と沢山あった。
しかし、旧人類社会に戻れるチャンスが与えられているのは、やっぱり男の人の説明してくれた新人類施設だけだった。調べていくうちに、僕の気持ちはすっかり固まっていた。ここに行きたいと伝えると、父さんと母さんは了承してくれた。その後、母さんは男の人に電話をかけて、父さんは僕を施設に入れるための大金を払ってくれた。うちはそんなに裕福な方ではないのに、こんなことをさせて申し訳ないと言うと、父さんは「お前の未来を買うためだと思えば」と笑ってくれた。僕は少し泣いた。
そして、ついに旅立ちの日。
人目を避けて、深夜2時に迎えがやって来た。
「お久しぶりです。この度はご決定頂きありがとうございます」
母さんが玄関のドアを開けると、この前の男の人がいた。彼の後ろには、黒い車が停まっている。
僕はスーツケース一つを持って玄関を出た。見送りのために、両親も外へ出てきてくれる。
夜の外気は冷たかった。母さんは、僕の首にマフラーを巻くと、苦しいくらいにぎゅっと抱き締めた。
「暖かくして過ごしなさいよ」
「うん」
父さんは何も言わず、車にスーツケースを入れるのを手伝ってくれた。
「……それでは、そろそろ出発しましょうか」
男の人がそう言って、運転席に乗り込む。僕は後部座席に乗り込む前に、二人を振り返った。
父さんは黙ってこちらを見ていた。母さんは無理して笑っていた。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「ちゃんと着いたら連絡しろよ」
僕は頷いた。男の人がアクセルを踏んだ。景色が滑るように動き出す。
「……真、まこと、待ってるからね!」
母さんが窓を追いかけながら言う。僕は泣きながら頷いた。段々スピードが上がる車に、母さんは追いつけなくなって、膝をついた。それを支えながら、父さんが何かを叫んでいた。
家が、両親が、遠くなって、消えた。僕は鼻をすすりながら前へ向き直る。運転席の男の人は、何も言わなかった。
車は、僕の通学路だった大通りを走り抜ける。学校を通り過ぎて、友達と遊んだ公園、週末買い物に行ったショッピングモールを通り過ぎて…………角を曲がった先は、もう知らない道だった。
最初のコメントを投稿しよう!