電信サイボーグ

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現在 沸騰中のトレンドワードは何ですか。 彼女は私に尋ねた。 そうね。脳裏を走る最新情報を私は暗唱して見せた。 「1. 会見の舞台裏 2. シャニ2nd 3. #土スタ 4. #D4DJバンドリ特番 5. 千葉県北西部 6. #メレンゲの気持ち 7. 十兵衛LOVE 8. 東京9R 9. トレーラー 10. ハセヒロ。以上です」 私は電信サイボーグである。大脳はクラウドに常時接続されている。それなのに非接触型の人々にはアナログで会話しないといけない。なんと不便な人たちだろう。 しかし、そういう人たちと同じ位置でやり取りをするのはなかなか難しい。だからこそ、私たちは自分の身の回りの行動で自分の意思の疎通を図るしかなかった。 「20XX年、コロナ禍から立ち直った東京に新たな街ができた。それから4年後。東京は「时尚(ファッション)街」と呼ばれ、私たちも仕事で東京に出て行く。そのたびに街のあちこちに「时尚」が溢れていく。その街で私のライブがあるらしかった」 電信サイボーグは公私ともに忙しい。时尚を司る中華时尚交易のクラウドが予定を管理している。と言っても大昔のアイドルと違って睡眠時間はたっぷり取れる。AIがワークライフバランスを守っている。それでも私のあずかり知らない上位が采配を振るう。时尚中心のホロライブは事務所のドル箱たる私にとって晴れ舞台だ。 電信サイボーグが歩くアンテナショップになって街の重要性は薄らいだ。 東京は今も时尚街と呼ばれているという。私は公式サイトの写真を見ながら、そう確信した。 そう、かつては首都だった。世界最先端の情報発信基地であり千年続く都から地位を奪った街。特別が特別でなく空気のように軽薄で、それでいて特別でありつづけないと死んでしまう回遊魚(トウキョウ)。 「そんな街にいながら私は、『私はそういうものだった』って。そう思っていた。そんな日々だから、私はこんなことをやってるんだって思うわけ」 彼女はそう締めくくった。 「トレンドワードを私に言わせてみて安心した? うん、私たちは組み込まれているの。電信サイボーグはクラウドの海を泳ぐけど特別じゃないわ。魚はひれを意識しているかしら」 「私はどんなことも自分じゃないと出来ない。もし出来るとしたら、私は……」 彼女は続きを話そうと口を開いた。 何度目だろう。いつもここで口ごもる。そして曖昧な日常(うみ)に彼女は戻っていく。今日は違った。赤髪の男性が反対側の歩道でホロライブをはじめた。彼は電信サイボーグだ。 その時、私は彼女の言葉の続きを聞くことが出来た。 「その街の人たちは誰もが同じように思っているんだけど、その人たちで出来る自分というもの。私は、その自分に何か特別な『こと』をしただけなのだわ。それなのに、私は何かが出来た。私は自分で自分を『本当の私』だと思ってる。私って、『私は別のもの』になりかけているのかしら。今の私は、ただそこに居るだけだから」 そう言うと、彼女は何かを思いついたようだ。 「あのね、シャニちゃん。あたしには、これが本当に見えてるのよ」 私はそれに対して驚きで、言葉を失った。 「どういうこと?」 「『私は別のもの。私はいつまでも、別の自分を忘れられない』って、そう言ってるの。その言葉は、昔読んだ本の中でしっかり読んだものよね」 どうやら彼女は本当にあの本の内容を自分でも理解しているみたいだ。その言葉は、実に現実的だ。というか、現実を理解しているという方がふさわしい。 「ねぇ、シャニちゃん。あの本の作者には気をつけなきゃダメね。あれは何かを暗示しているわ。それが何か分からなくっても、きっと読めば分かるわ」 「そうね、わかる。あの本の内容を、全て理解してなければならないからね」 彼女を安心させる為に、私はか弱い声で言う。 「あの本の作者のことよ、どういう性格なのか分かったなら、読んだことを後悔することはないよね?」 そう言って、彼女はにこりと微笑んだ。 「何を言ってるの? シャニちゃん。あの本の著者は、あなたの好きだった人よ。覚えてなさい。そしたら、あたしのことは気にすることもない。これからは、忘れないでね」 そう言い残した彼女は少し寂しげだったが、その笑顔からは、彼女の本当の気持ちを感じた。本当に、優しさに満ち満ちていた。 「ありがとね、私の為にそんな心配をしてくれて」 そう言うと、彼女は微笑んだ。 「ねぇ、シャニちゃん。あの本の内容について、あの本の作者に聞かせてちょうだい。本のことを調べて、何か手がかりをつかんでみようかしら?」 「あの本の作者を知らない限り、この本のことを調べようとしたところで何もできないよ。その本には何もない」 その言葉に、私はまた安心した。本当に彼女は、私のことを心配してくれている。そう思うことが出来た。そして、彼女が本当に私の為に、本のことを調べてくれたのだと思って、とても嬉しかった。私の為に、ありがとうと言ってくれた彼女にお礼を言うことができた。 その言葉に、私は顔を上げた。 彼女は涙を流していた。 「ありがとうね、シャニちゃん。私、あの本を読んでみる。多分読んでも、何にもわからないと思う。でも、もうそれだけの覚悟で読んでみるわ。この本は、きっと何かしらの答えは出てくると思うから。でも……」 彼女はそう言いなが、顔をあげた。 「もうこんなこと言うつもりなんてなかった。その本のことも気にしないで、好きに人生を書いてみよう。シャニちゃん。私は貴女を信頼している。だから、これからも頑張ってよ」 「分かったわ」 そう言いながら、私は彼女に礼を言った。そして、彼女の後ろ姿を見た。彼女が読んでいたのは、あの本だった。表紙は、『呪い』と書かれていた。
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