第1部 第14話 忍び寄る狩人

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第1部 第14話 忍び寄る狩人

 それから十日ほどの間、それまでの七日間が嘘であるかのように平和な時が続いた。  実際には、十三月の狩人は何度か矢を射かけてきたが、それは全てカミルの魔道具で追い払う事ができた。それ故、魔力も体力も、余分に消費せずに済んでいる。  それより何より、屋内でベッドに入って休む事ができる、温かい食べ物を食べる事ができる、というのが大きい。ゆっくりと休む事ができるおかげで、いつでもベストコンディションで行動する事ができる。  フォルカーとカミルの居場所が、いつでも把握できているというのもホッとする。いつも一緒にいなくても、どこにいるかがわかっているというだけでこんなにも安心するものなのだと。この状況になって、初めてテレーゼは知った。  だからこそ、何も言わずに出てきてしまって、今頃ギーゼラはどのような想いをしているのだろうと思うと胸が痛む。  これが終わったら……十三月を無事に乗り切り、花降月になったら、すぐに帰ろう。帰って、ギーゼラに謝ろう。そして、ギーゼラの好きなチーズクッキーをたくさん作って、美味しい紅茶を淹れて一緒にお茶をしよう。  そう、心に決めて。テレーゼは気を取り直して針を持つ手を動かした。今日の仕事は、繕い物の手伝い。難しい物は無いが量が多いので、全てこなすのは時間がかかりそうだ。  フォルカーは宿の裏で薪割りをしている。こちらも量が多いので、ノルマをこなすには相当の時間がかかるだろう。  カミルはいつも通り、工房と化した客室内で魔道具を修理したり、新しく製作したりしている。十三月の狩人対策で三人全員が持ち歩いている光る杖がかなりの魔力を使用するため、毎回補充を担当しているレオノーラは少々疲れ気味だ。先ほど休憩と称してお茶を飲みに行った時には、机の端に行儀良く腰掛けてこそいたが、こくりこくりと転寝をしていた。  レオノーラには悪いと思うが、あの光る杖が無ければ十三月の狩人を追い払う事ができない。彼女には、あと十五日間、頑張ってもらわなければならないだろう。全てが片付いた時には、何か彼女が喜びそうな菓子でも作ろうか。  そう言えば、テレーゼはレオノーラの事をあまり知らない。いつもカミルと一緒にいるので、よく知っているつもりになっていたが……思い返してみれば、好きな物も、嫌いな物も、何を望んでいるのかも知らないのだ。  次に顔を合わせた時には、レオノーラともっと話をしよう。好きな食べ物を訊いて、折角女の子同士なのだから、もっと可愛い話もしよう。服の話とか、恋の話とか。  そう考えると、次第に気持ちが明るく上向いてくる。針を動かす手も速くなってきたようだ。うきうきしながら、次々と繕い物を済ませていく。  思ったよりもずっと早く繕い物を終え、宿屋の受付に納品手続きをしに行くと、その帰りに、薪割りを終えたらしいフォルカーと鉢合わせた。 「フォルカー」 「テレーゼ。そっちも今日の分は終わりか?」 「うん。だから、今からカミルの手伝いに行こうかと思ってるんだけど……」  そう言うと、フォルカーは「お前もか」と笑った。 「俺も。全部終わったら支払えば良いって、レオノーラは言ってたけどさ。やっぱ、今すぐに何か返したいもんな。掃除でも肩もみでも、何でもやってやらねぇと」 「フォルカーの掃除は、余計に散らかるだけだから却下。肩もみも、フォルカーの力じゃカミルの肩を砕いちゃいそうだから却下!」  ビシリと言うと、フォルカーは「ちぇっ」と軽く舌打ちをした。残念そうな顔に、フォルカーも心の余裕が戻ってきたのだな、と感じる。 「とにかく、まずはカミルのところへ行きましょう? それで、カミルに手伝って欲しい事が無いか訊けば良いじゃない」 「そうだな。そうするか」  頷き合い、二人連れ立って階段を階段を上る。その、中ほどまで来た時だ。  ガシャンと、物が壊れるような、ひっくり返したような、そんな音がした。音は二階の奥。丁度、テレーゼ達三人の部屋が並んでいる辺りからだ。二人はハッと顔を見合わせ、勢いよく階段を駆け上る。  上り切ったところで、奥まで全速力で駆けた。それほど長くない廊下故、すぐに目的の部屋の前へと辿り着く。 「カミル!?」  テレーゼが扉を叩き声をかけるが、返事が無い。 「おい、カミル! 入るぞ!?」  フォルカーが怒鳴り、ドアノブに手をかける。ドアノブは抵抗する事無くあっさりと回り、扉が開く。鍵がかかっていないという事は、どうやら元々留守であったわけではなさそうだ。  しかし、部屋の中にカミルの姿は無い。レオノーラの姿も無い。  窓が開け放たれ、室内には物が散乱している。まるで、何者かが争った跡のようだ。 「……カミル?」  呟いたのは、どちらだったか。どちらにしても、返事は無い。 「……フォルカー、宿屋の人を呼んできて。伝えないと……色々と」  部屋が散らかってしまい、備品も損壊しているかもしれない事。宿泊客が消えてしまった事。カミルが消えてしまったため、魔道具の修理や製作の依頼をこなせる者がいなくなってしまった事。  ……ひょっとしたら、カミルは十三月の狩人に連れ去られてしまったのかもしれない、という事。最悪、殺されてしまっているかもしれない……という事。  テレーゼの言葉にフォルカーは無言で頷き、階段を降りていく。その後ろ姿を見送ってから、テレーゼは辺りを注意深く見渡した。  何か、手がかりが残っているかもしれない。もしかしたら狩人はまだ近くにいて、テレーゼやフォルカーの事も狙っているかもしれない。  いつだったか、レオノーラが言っていた言葉が脳裏に蘇る。  十三月の狩人は、どこにいても必ず獲物を見付け出し、どこまでも追ってくる。相手が誰であろうと容赦せず、獲物を仕留める為であれば、どんな手も辞さない。 「本当に……」  そうだった、しつこい、怖い、どうしよう。続く言葉の候補がいくつも頭に浮かび、そして消える。  頭がグルグルとしている感覚を覚えながらも、部屋の中を見渡し続ける。  机の上には、図面と思われる紙類が何枚かと、作りかけの魔道具。道具は見当たらない。元々、魔道具に関する物以外の荷物は少なかったのだろう。カミルの私物自体が、ほとんど室内に残されていないように思う。  床に直置きされていた大ぶりの花瓶が倒れ、花と水が床に広がっている。ベッドからシーツがずり落ちている。どちらも、ずぼらなフォルカーならともかく、カミルには有り得ない事だ。  部屋の隅にあった筈の棚が斜めになって、中ほどまで移動している。椅子は倒れている。  何事も無かったとは思えない。だが、殺されてはいないような気がする。どこにも血が見当たらないのだ。少なくとも、この部屋では殺されていない。 「助けないと……」  ぽつりと、誰に聞かせるでもなく呟く。助けなければ、と思う。カミルと、レオノーラを。  正直、十三月の狩人に敵うとは、今となっては思えない。十日前までの恐怖は、今でも覚えている。忘れる事なんてできない。  己とフォルカーは酷く苦労してここまで辿り着いたのに、カミルは魔道具を活用して随分あっさりと来たようだ。十日前も、魔道具を使って楽々と狩人の攻撃を防ぎ、追い払っていたように見える。  そのカミルとレオノーラが、恐らく敵わなかった。本気を出したのであろう狩人に襲われ、捕まったか、ひょっとしたら……。  考えれば考えるほど、テレーゼとフォルカーだけでカミルとレオノーラを狩人から助け出す事なんて無理だろうと思えてくる。怖い。本当は挑みたくなんか無い。できる事なら、関わらずに花降月まで持ち堪えたい。 「けど、ここでカミルとレオノーラを見殺しにしたら……きっと一生、後悔する」  十三月を乗り切っても、一人前の魔女になっても、誰かと結婚して子を生しても、孫が出来ても。いつまで経っても、後悔し続ける事になる。  確証は無い。だが、その予感はある。それも、かなり強い予感が。 「絶対に助けて、四人で生き延びる……!」  今度は、先ほどよりもやや強く、呟いた。拳が、ぎゅっと強く握られていく。  階下が、騒がしい。フォルカーが宿の者を呼んできてくれたのだろう。そのざわめきを遠くに聞きながら、テレーゼはもう一度呟いた。  絶対に、助ける。と。  氷響月が――一年が終わるまで、あと十五日。
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