第2部 第4話  13月に彼女は

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第2部 第4話  13月に彼女は

 扉を開けると、工房も兼ねているらしい小さな部屋は暖かな陽の光に満たされていた。窓際にはベッドが据えられ、一人の青年が横たわっている。  青年の顔は、紙のように白い。そして、閉じられた目は開かれる事が無く。ただ微かに聞こえてくる寝息だけが、彼が生きている事を示していた。  奥行きのある窓の面台には、柔らかそうな布を敷き詰めた小さな籠。その中には、黄緑色のドレスを纏った妖精が一人、やはり横たわって眠っている。寒さを防ぐためか、その体にはピンク色で幅の広いリボンが被せられている。  窓の前には木が生え、優しい木漏れ日を部屋の中に注いでいた。  そんな青年と妖精を見守る、女性が一人。薄ピンク色のワンピースの上に、濃紺のローブを纏っている。腰には二本の杖。どうやら、魔女であるようだ。  彼女はしばらくの間思いつめた顔で二人の顔を見詰めていたが、やがて椅子から立ち上がった。腰から一本の杖を引き抜き、一振りする。  すると、室内であるというのに風が巻き起こる。風は青年と妖精の体を優しく持ち上げ、少しずつだが腕や足を動かした。  こうして少しずつ動かす事で、筋肉が弱る事や床ずれを防ごうとしているのだ。たしか、そういう理由であると、フォルカーは聞いている。  やがて、風は緩くなり、青年と妖精の体は元の場所に横たわる。毛布を優しくかけ直したところで、女性がフォルカーの方に振り向いた。 「よう……無事みたいだな、テレーゼ?」  フォルカーの言葉に、女性――テレーゼは怪訝な顔をした。 「無事? どういう事?」  その言葉に、フォルカーも怪訝な顔をする。 「どういうって……今、何月だ?」 「何月って、氷響月……」  そこで、テレーゼはハッと顔を強張らせた。その理由がわかったフォルカーも、顔を険しくする。マルレーネだけは、意味がわからずに困惑した表情だ。 「フォルカー……あんた、まさか……」 「……氷響月は、終わった筈だ。俺にとって今は、二回目の氷響月……十三月だ。テレーゼ、お前は?」  問い掛けるが、答えはわかっている。この二人の間で交わされる「今は何月か?」という言葉の意味は、一つしかない。 「今が十三月だって言うのなら……私は呼ばれなかったわ。今年も、私は十三月の狩人の獲物じゃない……!」 「……」  重い沈黙が立ち込める。それを振り払うように、フォルカーは首を振った。 「俺だけでも呼ばれたんだ。なら、俺がテレーゼの分まで頑張る! 南の砂漠で戦った時は、引けを取らなかった……次は逃がさねぇ! 狩人を倒して、カミルとレオノーラの呪いを解いてやる!」  意気込むフォルカーに、テレーゼが「ん?」と首を傾げた。 「……待って? 南の砂漠? 引けを取らなかった? どういう意味よ? 前に狩人と遭った時は、向かっていく事すらできなくて……」 「いや、ほら。前の時、狩人が出てきたのは南の砂漠だっただろ? だから、そこが一番出易いんじゃねぇかな、と思ったんだよ。だから、紅塗月の三十二日から、一回目の氷響月の一日にかけて、南の砂漠で寝泊まりしてみたんだよな。そしたら案の定、十三月になったら家にいたはずなのに南の砂漠にいて……」  フォルカーの説明に、テレーゼはしばし唖然とした。そして、手に持ったままだった魔法の杖で、フォルカーの頭をぽかりと叩く。 「この馬鹿! この前狩人が砂漠に出たのは、代行者のカミルが砂漠にいたからであって、狩人が砂漠が好きってわけじゃないでしょ! 偶然本当に出たから良いものの、勘が外れたらただ危険なだけじゃないの!」 「実際出たんだから、良いじゃねぇか! モンスター倒して、収入もあったし!」 「結果論で言わないで!」  一通り叫んでから、テレーゼはフォルカーの肩に目を遣る。そこには、マルレーネがずっととまりっ放しだ。 「それから……さっきから気になってたんだけど……その子、どうしたの?」 「ん? あぁ、ちびすけの事か?」 「ちびすけじゃないです、マルレーネです!」  憤慨するマルレーネを制止しながら、フォルカーは事情をテレーゼに語って聞かせた。テレーゼは不機嫌そうな顔で話を聞いていたかと思うと、マルレーネに簡単に名乗りを済ませる。そして、グイッとフォルカーの腕を引っ張り、部屋の隅へと移動させた。  振り落とされたマルレーネは工房内にある魔道具に目を引かれたのか、そのまま部屋の中を見物し始めている。 「何だよ?」  顔を顰めるフォルカーに、テレーゼがそっと耳打ちした。 「フォルカー、あんたこの後も、ずっとあの妖精と一緒に行動するつもり?」 「ん? あぁ……まぁ、ちびすけが離れようとしねぇし……そうなるんじゃねぇ?」  困惑した顔で答えるフォルカーに、テレーゼは顔を険しくした。 「気を付けなさいよ。多分あの子……惑わしの妖精だわ」 「惑わしの妖精?」  聞き慣れない単語にフォルカーが復唱すると、テレーゼは真剣な顔で頷いた。 「あの子、真っ白でしょ? 髪も、目も、ドレスも何もかも。だけど、光の加減で他の色にも見える」 「……それが?」  フォルカーの問いに、テレーゼはちらりと視線を移した。その先には籠。敷き詰められた布の上で、妖精レオノーラがいつ目覚めるとも知れぬ眠りについている。 「例えば、レオノーラ。ドレスが黄緑色で、魔力の色も黄緑色。髪の色は金だけど、黄緑からそれほどかけ離れた色じゃない。妖精は、魔力の質や種族の性格によって、纏う色が違ってくるらしいの」  レオノーラが目覚めるまで、どうしておくのが一番彼女の負担にならずに済むのか。テレーゼはかなりの時間をかけて調べたらしい。結果わかったのは、レオノーラは妖精達の中では〝木漏れ日の妖精〟と呼ばれているらしい事。だから、木漏れ日の差し込むこの部屋の窓際で眠らせておくのが一番良い、という事になった。木漏れ日の中にいる時が、レオノーラの魔力や体力が最も回復するらしい。  何故レオノーラが〝木漏れ日の妖精〟だとわかったのかと言えば、街に住む他の魔道具職人達にあたり、彼らがパートナーとしている妖精達に尋ねて回ったから。レオノーラの様子を見舞った妖精達は、皆こう言ったという。 「ドレスの色や、お話しに伺う魔力の色から考えて……この子は、木漏れ日の妖精だと思われます」  その話から、テレーゼは妖精の持つ色について学んだ。青い色を多く持っている妖精なら、水や氷に由縁がある。赤なら炎。妖精の質と色には、密接な関係があった。 「なのにあの子は、主たる色を持っていない。なのに、何色にも見えるわ。調べた文献に、この色を持つ妖精についての例は一つしか無かった」  その正体が何なのか、誰にも、ひょっとしたら本人にすらわからない。それが、「惑わしの妖精」である、と。そうテレーゼは言った。 「惑わしの妖精という名前だけで、どう惑わすのかまではわからなかったわ。けど、注意をするにこした事は無いでしょ」 「まぁ……うーん……」  理解力が追い付かない、という顔でフォルカーが唸る。テレーゼはその様子に、深い溜め息をついた。 「それで……これからどうするの?」 「どうって……逃げられちまった以上、前と同じようにするしかねぇだろ。あちこちうろつきながら、十三月の狩人がまた出てくるのを待つ。それがもし代行者なら……逃げるしかねぇだろうけど」 「……そうね……」  テレーゼがぽつりと呟き、二人は眠り続けるカミルに視線を遣る。二年前の十三月、カミルは十三月の狩人の代行者として、テレーゼとフォルカーの命を狙った。そして、それに失敗したからこそ二人は今こうして会話をする事ができ、カミルとレオノーラは眠りから覚めずにいる。 「ひとまず、北の霊原に行こうと思ってんだ。あそこなら二年前にも世話になってるし。……テレーゼは? どうする?」  答えは、わかっている。だが、それでも確認の意味でフォルカーは問うた。  テレーゼは少しだけ考える素振りを見せ、グッと拳を握る。悔しそうな顔で首を横に振った。 「私は……これまで通り、西の谷と中央の街のどちらかにいる事にするわ。十三月に呼ばれなかった以上、私には十三月の狩人の姿も、狩人の矢も見えないでしょうし」  テレーゼには狩人の姿も矢も見えず、飛来する矢が当たる事も無い。だから、同行したところでテレーゼに危険は無い。  彼女が同行する事で危険なのは、フォルカーだ。例え当たらないとわかっていたとしても、もし彼にしか見えない黒の矢がテレーゼに迫るのが見えたら? 「フォルカーの事だから、何も考えないで私を守ろうとするでしょうね。もし私が狩人だったら、私の事が見えない人を狙うわ」  そして、守る事に気を取られたフォルカーの隙を突く。狩人の姿を見る事ができない周りの者達は、狩人の行動には気付かない。  結果、フォルカーは守った人の目の前で殺される事になるかもしれない。 「今年、カミル達を助ける事ができるかどうかは、フォルカー一人にかかってるのよ。そんな事態は避けたいわ。それに……」  そこで、テレーゼは言い淀んだ。視線がまた、カミル達の方に吸い寄せられている。 「目の前で友達が動かなくなっていって、自分は何もできないで……あんな想いは、二度とごめんだわ」 「……だよな」  頷き、フォルカーは扉の方へと足を向ける。テレーゼは同行しない。そうと決まれば、人の多い街に長居は無用だ。フォルカーが部屋を出ようとしている事に気付き、マルレーネが慌てて追ってくる。  二人が姿を消し、扉を閉まったところで、テレーゼは壁にもたれかかった。そのままずるずると、床に腰を落としていく。板敷の床に座り込んだまま、テレーゼはぽつりと呟いた。 「どうして……」  その呟きは、本来なら誰にも聞こえない程小さな声だ。だが、扉を隔てていても獣人であるフォルカーには聞こえていた。  テレーゼの呟きの意味が、フォルカーには痛いほどわかる。  二年前のあの時から、テレーゼは今まで以上に修行に励んできた。花降月には祝福の花を鬼気迫る表情で掻き集め、魔力を増やそうと努め続けている姿を、フォルカーは見ている。  その努力は、実を結んだ。テレーゼの魔力は、二年前では想像もできないほどに増え、今となっては師匠であるギーゼラすらも超えるのではないかと思われるほどに多くの魔力を持っている。  それほどまでに努力してきたのだ。カミルとレオノーラを取り戻したくて。  なのに、十三月に呼ばれなかった。十三月に呼ばれなければ、十三月の狩人と遭う事は無い。狩人に遭わなければ、彼を倒す事もできず、カミル達を助ける事も……。  相当に魔力が増えたテレーゼの治癒魔法を行使してもカミル達が目覚めなかった以上、やはり彼らを助けるためには狩人をなんとかしなければいけないのだろう。  なのに、それができない。十三月に呼ばれないと、この二年間のテレーゼの努力は、意味を成さない。  だからこそ、「どうして……」という言葉も出てくるのだろう。 「どうして、フォルカーだけ?」 「どうして、私は呼ばれなかったの?」 「どうして、カミル達を助けさせてくれないの?」  きっと、そう言いたいのをテレーゼは堪えている。  だが、フォルカーは思うのだ。テレーゼが十三月に呼ばれなかったのは、きっと彼女が、努力を積み重ねているから。狩人は、努力が足りない半人前を狙うのだから。  皮肉な話だが、恐らくテレーゼは努力が過ぎたのだ。そして、魔力を増やした事で、努力の結果を着実に見せている。狩人がテレーゼを狙わないのは、恐らくそれが理由。  だが、だとしたら……今回十三月に呼ばれたフォルカーは?  努力が足りないのか? 努力の方向が間違っているのか?  考えたところで答えが出るはずもなく、フォルカーはため息を吐いて首を横に振る。そして、荷物を持ち直すと、ヴァルターに声をかけて店を出た。  気持ちを切り替え、決意を新たに北へと旅立つ準備をしようと、街の中へと足を踏み出していく。  その後ろ姿を、窓からテレーゼが見送っていた事に、気付いた者は恐らく、誰もいない。
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