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冷淡
「や、ずいぶん気前がいいな」
エヌ氏が友人の賽銭の額を見て、思わず口にした。
初詣に来て偶然友人と会ったのだ。おたがい独り身。連れもなく、ひとりで来ていたこともあり、自然とふたりで参拝しようという流れになった。
「なんだ、そういうきみはそれっぽっちか」
友人がエヌ氏の手もとを見て指摘した。エヌ氏の手には小銭が一枚だけ。お世辞にも多いとはいえない額だ。
「どうもわたしは神に助けてもらった記憶がなくてね。あまり信用していないのだ。習慣になっているから来ているだけで、本当は一銭も払いたくないのが本心さ」
「きみの信仰心が足りないのではないのか」
こうエヌ氏に言って、友人が熱心に神へ祈る。エヌ氏はといえば、一瞬手を合わせただけで、参拝に来るひとびとをただ眺めていた。
「ずいぶん、長い願いごとだったな」
「当たり前だ。神さまに助けてもらえればそれ以上のしあわせはない。いままでだって幸運に恵まれてきた」
「きみは神に気に入られているようだな。うらやましい限りだ」
同じ独身といっても、エヌ氏と友人の立場はかなりちがう。友人は若いころに起業して、その事業が運よく当たった。その後も順調に会社は大きくなって、いまとなっては金銭面で不自由することはないだろう。
それにくらべて、エヌ氏は一会社員だ。会社の景気はよくない。出世もしなければ、給与が上がることもない。将来の不安は膨らむばかりである。
「どうしてこうも神はわたしに冷たいのだろうな」
「それはきみが賽銭をけちけちしているからだろう」
「そんなことはない。そもそもはじめは向こうからだった」
エヌ氏がおさない日の思い出を語る。
「あれはまだわたしが小さいころだ。両親に連れられて遠くの神社へ初詣に行った」
「こことはちがう場所か」
「ああ、あのころはまだ信じていたんだ。神はみなを平等に救ってくれるとね。しかし、現実はちがった。初詣に行ったつぎの日からわたしは熱を出し、体調を崩した。これがなかなかたちの悪い風邪でね。熱がどんどん上がるものだから親は大あわてさ」
エヌ氏と友人が神社の境内で話しこむ。行き交うひとびとはそれぞれの願いを心に持っているのだろう。
「そんなことがあったとは知らなかったな」
「ほんの小さいころの話だ。そうそう他人に話すようなことではない。肝心の病状だが、いくら待っても熱が下がらないものだから入院にまで至ってしまった。ここらへんからわたしの記憶はあいまいだ。あとで親に聞くと、生死の境をさまよっていたらしい」
エヌ氏が息を吐いた。寒い空気に吐いた息が白く染まる。
「なんとか一命はとりとめて、こうして生きているわけだが、その件以来わたしの神への評価は大暴落さ。わたしの気持ちがわからなくもないだろう。先にひどい目にあわされたのはこちらなのだ。それは賽銭を出す気もなくなるさ」
「へえ、そんな根深い事情があるとはね」
「まあ、神が助けてくれなくたって、それなりの人生は歩めるんだ。たいした問題ではないさ」
話しおえたエヌ氏は歩きだす。もう、神社に用はない。はやく帰って家でくつろぐのがいいだろう。石畳を歩き、鳥居を抜けた。家の近くの小さな神社だが、初詣の客でにぎわっている。遠方から車で来るひともいるくらいだ。
「じゃあ、元気でな」
友人が別れを告げる。エヌ氏がこたえた。
「神からもらったしあわせをすこしはわたしにもわけてくれよ。神は信用していないが、きみなら信用できる」
「冗談を言うな。わたしにそんな力はないさ」
こう言いあって、別れようとしたときだった。一台の車がエヌ氏たちのもとへ突っこんできた。あきらかに制御を失っている。猛スピードだ。ぶつかったらひとたまりもないだろう。
その暴走する車は友人に向かってつき進んでいた。しかし、直前で車がほんのすこし方向を変えた。方向を変える要素などなかったのにもかかわらずだ。そのまま、車はエヌ氏の視界いっぱいに飛びこんできた。
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