誰の為?何の為?

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 夫婦水入らずでテレビを観ていて、「お客様の笑顔の為に」というCMのキャッチコピーを聞いて、「何、綺麗事言ってんだか」と昌子が然も不満そうに言うと、「エッセンシャルワーカーの方々はお客様の笑顔を見られると嬉しいものなんだよ。だからお客様の笑顔の為に頑張ってるんだよ」と茂雄は答えた。 「何言ってんのよ。いくらセールスマンだからって、あなたまでそんな綺麗事言うんじゃないわよ!まさか本当にそんな風に思ってるんじゃないでしょうね!」 「何、怒ってるんだよ」 「だって綺麗事がまかり通ると、世の中が偽善や親切ごかしや誤魔化しや嘘ばかりになるでしょう。丁度ソクラテスが批判したソフィストみたいに心にもない褒め言葉とか美辞麗句を並べ立てちゃってさ、そんなのが持て囃されちゃうのよ」 「そうは言うけどさあ・・・」 「だってそうじゃない。例えば、宅配で言えばよ、荷物を運ぶのが仕事だから自分の任務だから、そしてお金になるからそうするんでしょ。早い話が自分の為、お金の為にするんでしょう。それをお客様の笑顔の為にだなんて」 「だけど、お客は荷物を渡されたら苦労して荷物を運んでくれてありがとうと感謝するし、荷物が届いて嬉しくなるから笑顔になるだろう。それを見たさに配達するんじゃないのか」 「な訳ないでしょ。さっきも言ったでしょ。配達人は自分の為、お金の為に配達するんであって運送時にトラブルがなくて荷物を受け取れた場合、私はお金払ってんだし、荷物届くのが当然だと思うから特に嬉しくなる訳でもないのよ。むしろ遅いんだよって文句を言いたくなる時もあるのよ。それに引き替え、配達人は私のお陰でお金を稼げるんだから寧ろお客様は神様ですと私が感謝されるべきなのにありがとうございますとも何とも配達人が礼を言わないから私は感謝する気持ちも嬉しい気持ちも当然、生まれなくて笑顔になれる筈がないのよ。なのに大抵の受け取り人はご苦労様でしたって儀礼的に言って笑顔を作るんでしょう。何でお客側からそんな風に媚びなきゃいけないのよ。本心は私と一緒だろうに。だから配達人はお客を自然と笑顔にしてる訳じゃないからお客様の笑顔の為になんて言うのは真っ赤な嘘なのよ」 「お前は女なのに理屈っぽいし、つくづく愛想がないね。全く珍しい女だ。だから冷たいって言われるんだよ。少しは笑顔をサービスして相手も笑顔にさせたらどうなんだ」 「生憎、私はあなたみたいに作り笑顔が得意じゃないの。何より私は笑顔で欺く大人になりたくないの!」  肯綮に当たる言葉に茂雄は黙ってしまった。確かにほとんど効き目がないのに如何にも効き目がありそうに見せる為にデコレイトされた化粧水のビンのように笑顔で以て客を欺き、商品を買わせることがあるなあ、政治家だって詐欺師だっていい人ぶってる奴だって笑顔で欺くしと茂雄は思ったのだ。それに全く憎々しい女だと思ったが、慮ってみると、昌子の言うことは一理あるどころか要点を押さえていると思うに至った。医療の人だって患者の為、患者の笑顔の為と思いながら治療している殊勝な人はどれだけいるだろうか。治療することで自分は任務を果たし、金を得られる。自分の為に金の為に治療しているんじゃないか。しかし治療してもらった患者は医師に感謝し、笑顔になるじゃないか。しかし、それは結果的にそうなるのであってそうさせる為に医師は治療してるんじゃない。現に無償で治療しているのではなく患者が金を払わなければ医師は治療しないじゃないか。だからやっぱり患者の為、患者の笑顔の為じゃなく自分の為、金の為に治療するんじゃないか。しかしコロナ感染者は公費負担で受け入れて治療している。しかし、それは流石に国民から金をとることは出来ないからであって、そうせざるを得なくなった国の意向にしたがってのことで世の為、人の為と大義名分を掲げているとしてもそれは名目に過ぎなく国から金を得る為なのだ。医療の人は大変だなあ偉いなあと世間の人々は言うが、コロナ禍になった時、偶々医療の仕事に就いていたので医療機関が逼迫して大変なことになったというだけの話で、その大変なことになったのも患者の為、患者の笑顔の為じゃなくて患者の数が膨れ上がった為、そして自分の為、金の為じゃないか。  大体エッセンシャルワーカーの誰が皆様のことを思って仕事しているのだ。インフラを支えているのは事実だが、突き詰めて考えれば、皆様の為とは建前で本音は自分の為、金の為にしてるんじゃないか。自分だってそうじゃないか。そんなことは百も承知なんだけどさ、昌子があんまりドライだからちょっと綺麗事を言ってみただけさ。と言いたいところだが、実はここまでシビアに考えつくのに茂雄は大変、骨が折れた。普段、セールスマンだけに愛想良くすることを処世術としている自分とは違ってむすっとしながらテレビを観る昌子の横で。今も見た目は冷たそうだが、実は実直で優しくて信用出来る女なのだ。その信用が置けることに於いて陋劣なる俗物どもにいい人と言われる者に比べると、同日の論ではないのである。  だから茂雄は昌子に全幅の信頼を寄せている。そして昌子を愛し親愛の言葉を送ることもあるが、昌子は気働き出来るから夫婦だからって態々親愛の言葉なぞ滅多に口に出さない。そんな彼女に茂雄は物足りなさを感じて冷たいなあと思うことがあるのであった。  
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