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依頼完了
時間軸から戻った男は双眼鏡に取り付けた記憶媒体をパソコンに繋いで少年にも見せた。少年は執務机を思いっきり握りこぶしで叩き付けた。実は少年も虐められて不登校になった。この事務所を知る切っ掛けになったのは虐めっこを懲らしめて欲しいとこの男に依頼したからだ。残念ながら、子供では対価のお金を支払う事が出来なかったので、代わりに何でも言う事を聞く条件に男の弟子入りをした。
男は約束通り、少年にあらゆる事を教えてくれた。お蔭で自分を虐めていた子を見返す事も出来たし、何より学校に行って沢山の事を学ぶ事が重要なのだと男から教わった。
男は恐ろしい程の知識量を持っていたからだ。いくら自分よりも長く生きた大人だとしても甚大なものではなかった。それなのに、こんな所で殺し屋を生業にする彼に少年は強い憧れの気持ちを抱いていた。それに気付いてるのかどうかは分からないが、男は肝心な事は何も教えてくれなかった。何時も、最後の手を下すのは男なのである。きっと、今回もそうなのだろう。そして、何時も少年は「何時か男が黙って居なくなってしまう」と言う焦燥感と恐れを感じていた。今回も帰って来ないかもしれないと内心では不安で堪らなかった。そんな素振りは一切出さないし、何より今はこれから粛清するターゲットの事で頭が一杯だった。
男から手渡された、自殺した少年の写真や声のサンプルを受け取って、少年は直ぐに準備に取り掛かった。脱衣所で髪の毛を染めて、誰の声質にも変更可能な変声機を首元に装着して、自殺したその日に着ていた有名私立のエスカレーター校の制服に身を包んだ。
「う~ん。完璧!」
男にそう言われて少年は「当たり前でしょ!」と得意気に言った。
***
二人はジッパーを開けて時渡りを開始した。依頼を遂行するのに適した時間軸は少年が既に調査済みだった。遡るのは、依頼人がやって来る30分前の時間軸。ターゲットはこの時刻、会社のオフィスで使い物に成らなくなった社員を怒鳴りつけて追い込んでいる真っ最中だった。追い込まれた社員は顔面蒼白になり、今にも死んでしまいそうな面持ちだった。一体、この男によってどれだけの人間が食い物にされ、死んで行ったのだろうか。考えたくも無いがつい、頭を過ってしまう。
ターゲットは散々喚き散らした後、お手洗いに席を立った。ターゲットが通り過ぎる度に社員はビクビクしている。必死に働く社員達をパーテーション越しに嫌な眼付で見ていた。まるで次の獲物を探しているかのようだ。ターゲットは高身長で整った顔立ちをしている。一部の女子社員からはその残忍で残酷な性格を仕事に厳しくハッキリとキツイ事も言える素晴らしい経営者だと人気を博しているらしい。恐ろしいカリスマ性を持った男だった。
「ふん。どいつもこいつも使えん奴ばかりだ」
男はそう言って、社長室のドアを開けた。すると、自分が座る場所に見知らぬ男が机に両足を上げて太々しく座って、こちらに掌を向けていた。その机の上には一人の少年が俯きながら足をぶらぶらさせて座り、「代表取締役社長 峰岸 太蔵」と彫られたネームプレートを弄んでいた。
「誰だね、君達は! オイ!」
「無駄だよ~誰も来ないから」
男はそう言うと、自分の後ろにあるクローゼットの様な引き戸を開けた。すると中からボディーガードらしき数人の男と秘書と思われる女性の無残な姿がなだれ込んだ。それを見ても峰岸氏の表情は至って普通だった。
「何が目的かね? 金かね?」
そういうと、懐から取り出した財布を手にあろうことか近づいて来た。机の上に座る少年の顎を引き上げて札束で頬を叩いた。
「ほ~ら。僕? これ上げるから、さっさとそのイカれたお父さんを連れてお帰り?」
「ねえ、僕の事まだ分からないの?」
そう問われても峰岸氏は「はて?」と言う表情をするばかりだった。
「確かに君の顔は私の加虐心を擽るが、君とは面識が無い筈だよ」
「そう? じゃあ、これなら思い出してくれる?」
「何だ? ギャア! 痛い!」
突然、峰岸氏の体に電流の様な痛みが走った。その痛みの原因に目線を移すと何と、自分の指の爪の間に画鋲が刺さっていたのだ。
「は~い。じゃあ、これに座って~」
男は社長椅子から降りると一瞬で峰岸氏の背後に周り、何かに強引に座らせた。するとまたしても凄まじい痛みが峰岸氏を襲った。臀部には幾本もの鋭い何かが突き刺さっている感覚があり、少しでも動くと痺れるような痛みを感じる。加えて、自分の足の上に少年が跨り、全体重を乗せて来る。
「ぐあああ! やめろ! 降りろ! このクソガキが!」
「ねえ、まだ、思い出さないの? た~いぞーう君」
天使の様な可愛らしい笑顔で小首を傾げながらそう呼ばれ、峰岸氏にある記憶が蘇った。
「蛍?」
「せーいかい! 100点満点!」
峰岸氏の顔色が此処で一気に変わった。見る見る青ざめて行く彼を横目に蛍と名乗る少年は膝から降りた。
「僕ね。君に沢山、沢山虐められて、余りにも辛くて、自殺しちゃったでしょ? そしたらね、どんな理由があっても自殺はいけない事だって、天使様に怒られちゃったの。だから、僕は天国じゃくて地獄に堕ちちゃった。君の所為だよ?」
「す、済まなかった……許してくれ……」
「ううん。それは出来ない。だから、僕、君を迎えに来たんだよ」
「や、やめてくれええぇえぇえ!」
峰岸氏はそう泣き叫び、嘆願したが、蛍少年は満面の笑みで自分が彼にされた加虐行為をいや、それ以上の行為を行った。意識も絶え絶えになった頃に峰岸氏は「俺は自殺じゃない。だから、地獄には堕ちない」と言った。
「ばーか。てめえがこれまでしでかした過ちは十分、重罪だよ」
男はサイレンサー付きの拳銃を突き付けながら、峰岸氏を窓際迄追いやり、超高層ビルのガラス窓を発砲で粉砕し、峰岸氏を蹴り落とした。突然、上空から降り注ぐ無数の硝子片に驚き、立ち止まる地上の人々は次に堕ちて来る男の遺体を目にして悲鳴を上げ、パニック状態に陥った。騒ぎを聞きつけた社員が社長室に駆け込むが其処には誰もおらず、あるのはビッシリと画鋲が敷き詰められた木とスチールで出来た勉強椅子と無数の血痕、そして一発の空薬きょうだけだった。
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