終章 

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「やかましいぞ、おまえたち。わしの晴れ姿でも拝んで、おとなしくしておれ」  長身に白い髪、整った顔立ちの姿で、油すましと一つ目小僧に文句をいったぬらりひょんであったが、その姿は普段とは真逆だった。  ぬらりひょんはなんと、洋装の礼服(タキシード)を着ていたのである。  浅黒い長身に洋装の礼服が、憎らしいほどよく似合っている。 「だってよぅ、ぬらりひょんが洋装を着てるんだぜぇ!? いや、そもそも花嫁が和装なのに、花婿が洋装っておかしくねぇか?」    油すましが酒を注ぎ直しながら、ぶつぶつとぼやいた。 「あんた、遅れてるぇ。人間の世界じゃあ、洋装と和装をうまーく取り入れた祝言が人気になってきてるんだよ。花嫁が和装で、花婿が洋装ってのも珍しくないのさ。知らないのかい? 遅れてるねぇ」 「今どきの人間の祝言の事情なんて、おれが知るかよ……」  明治時代に入った頃より、祝言の様式も少しずつ変わってきている。西洋の様式が少しずつ取り入れられていくようになっていた。記念写真だけ一部洋装だったり、花婿だけ洋装だったり、白無垢の着物に頭に白いペールをつけたり、と形は様々だが、うまく洋風を取り入れる夫妻が少しずつだが増えていた。  ハイカラなものが好きなぬらりひょんを説得するため、おりんはどこからか男性用の洋装の礼服(タキシード)を仕入れてきた。  それを片手に、「いいですか、ぬらりひょん様。祝言の主役は花嫁ですが、花嫁の衣装だって大事なんです。衣装ひとつで雰囲気が変わってしまうんですから、当然ですよね。そこで御用意させていただいたのが、こちらの洋装の礼服(タキシード)です。これを見事に着こなしたら、さちだってきっと惚れ直しますよ~。それとも着こなす気概すらお持ちじゃございませんかぁ?」 「ぬぅぅぅ~」  ぬらりひょんの自尊心(プライド)とさちへの恋慕を巧みに刺激して、おりんはぬらりひょんに洋装の礼服(タキシード)を着させることに見事成功したのである。 「ぬらりひょん様、とても、とても素敵です……。まるで西洋の紳士みたい……」    自分が主役なのも忘れ、夫であるぬらりひょんの洋装の礼服(タキシード)姿にうっとりと見惚れるさちであった。 「ぬぅ、洋装とやらは窮屈でいかんのぅ。さちのためでなければ、こんなもん絶対に着なかったぞ。これで最後にするとしよう」 「え、最後にされるのですか!? さちは嫌です、さびしいです……。ぬらりひょん様の洋装をもっと、もっと見たいです……」  花嫁がかくんとうなだれてしまったため、ぬらりひょんは慌ててさちをなぐさめる。 「わかった、わかった。この姿の時だけ、たまには洋装も着てやろう。ただしさちも着るのだぞ?」 「え、私みたいに地味な人間に洋装なんて似合いませんよ。ぬらりひょん様だけで十分です」 「わしの目の保養、いや、楽しみがなくなるではないか。さちはきっと西洋の洋服も似合うはずだ。良いな、わしと一緒に必ず着るのだぞ?」 「はい、ぬらりひょん様がそうおっしゃるのなら」  頬を赤く染めたさちが、ぬらりひょんを嬉しそうに見上げる。ぬらりひょんは満足そうに微笑んだ。 「あの~おふたりさん。いちゃつくのも結構ですが、祝言をすすめさせてよろしいですかぁ? あ~お熱くてやんなっちゃう……」  さちとぬらりひょんの会話を見守っていたおりんだったが、放っておくと、いつまでもいちゃついていると思ったようだ。 「おお、これはすまんの、おりん」 「おりんさん、ごめんなさい。今日はよろしくお願い致します」  さちとぬらりひょんの祝言が、ごく一部のものだけで始まった。  
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