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追憶の傷口は瘡蓋になって
追憶の傷口は瘡蓋になって長い間、心をさいなむ。希望の光が癒してくれるがそうでなければ絶望が古傷を化膿させる。
同じ響きでも可能という言葉が島崎明日香の心を曇らせる。
「そう、可能性という言葉が人を傷付けることがある。それじゃあ、もう少し長く生きてみようよ」
良心のささやきと共に島崎明日香は遠く、彼方、彼方へと飛んでいく。その後が見えなくなるまで、真っ直ぐに。
次の日の早朝。
朝食後、再び床についた。睡眠導入剤がまだ残っていて手足が鉛のように重い。明日香は精神障害者手帳二級を取得している。
窓は群青色だ。
まだ少し早く感じたが、目覚まし時計にがっつり起こされた。布団から這い出てた娘を母は不思議に思う。
「何よ? もう起きたの。まだ準備してたところよ?」
吃驚するのも当然だ。通所サービスの職員は午前八時半に迎えにくる。
「えっ!? あたし起きてる」
寝ぼけ眼だが、明日香は自分でも驚いていた。
「良く分からないけど、あたし何処かへ行こうとしてなかった?」
ときどき自我を失う。見当識障害という症状だ。不随意的に行動してしまう。だからオートロックの物件に住んでいる。母子家庭で生活保護者世帯がこのような暮らしをすると世間がうるさい。だが明日香は酷いトラウマを負っている。
透明な刺客に年がら年中おびえる娘に母は胸を痛めた。
「あなた、玄関の暗証を知っているの?まさかそんなことはないよね。管理会社がリモートで変更するんだもの」
母は娘の徘徊に厳重な予防措置を講じている。また下履き一枚の姿でミッドタウンを歩き回られては溜まらない。警察も迷惑だろう。
「うーん。あたし、何かやろうとしてなかった?」
明日香は抗鬱剤を冷蔵庫の牛乳で流し込んだ。
リビングを歩き回りソワソワと落ち着かない様子だ。
「何かって……。貴方まさか外出していないでしょうね? それともあの人が来たの?」
母は必死に思い起こしにかかった。
あの日、通報を受けて娘は下着のまま警察に保護された。目撃者によればうわ言のように『あの人』を連呼していた。素敵な人だと本人はいう。
万一オートロックの暗証番号が漏洩していたら大変だ。
マンション管理組合のサーバーから防犯カメラ映像をダウンロード。倍速再生で玄関に人影を探す。
明日香は目覚ましが鳴るまで寝室でぐっすり眠っていた。微動だにしてない。
「本当、夢のようね」
この時、母は明日香が本当に夢を見たと判断し、寝ぼけまなこを拭いていると
「おはよう、明日香」
と、どこからともなく自分の声が聞こえた。
「うん、おはよう、母さん……」
返答に困る。挨拶は済ませたばかりなのに一体どこの誰だろう。
「母さんまで変になりそうだわ。もう一度寝なさい」
娘を寝室へ追い立てるだけでくたくたになった。眩暈をこらえつつ台所に立つ。
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