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完全犯罪彼女
美人薄命というけれど。彼女はその通りだった。
彼女が道を歩くだけで、周りの人間が性別関係なく道を開ける。そして、通り過ぎる度に彼女を目で追い、渇望したような視線を送る。しかし誰一人彼女に話し掛けられなかった。彼女を覆うオーラは冷たく近付きにくい雰囲気を醸し出す。でも、そんな彼女の微笑みはまるで――慈愛に満ち、全ての罪が洗い流され、許されるような……浄化される微笑みだった。その冷たさが嘘だったかのように、一瞬で温もりに包まれ、春が訪れたかのように雪が溶け、早春の樹木が芽吹く、そんな微笑みだったのだ。
女神と……彼女と付き合えたのは奇跡だった。
完全犯罪彼女
僕は平凡でどこをとっても冴えない男。
大卒というだけで、何のステータスもない。大学は平均の頭なら誰でも通えて、成績も中の中。通った理由は「大学出たら?」というこれまた平凡の父母のいう事を素直に聞いただけ。実家に居たくないが為に、一人暮らしがしたいという理由で適当な理由を付けて県外の大学を受けた。なんの資格を取るわけでもない、地元でも良かっただろうに、というような大学。友達付き合いも特になく、平凡な男には彼女が出来る訳でもなく。ただコンビニのバイトをして時間を潰して、趣味もなし友達も居ないから食費と光熱費しか使わない。家賃は家からの仕送りでまかなえる。でも趣味もない友達も居ない彼女も居ない、金を使う事もない。唯一の取り柄は六畳一間で風呂とトイレは別でウォシュレット付きのトイレ、に住んでいるという誰が喰いつくのか良く分からない事だけ。趣味もないから、ベッドとテレビしか置いていない、殺風景の部屋。
大学を卒業して、平凡な僕は就活に失敗。面接で「貴方の取り柄はなんですか?」に僕は何も答えられなかった。
大学時代から続けていたコンビニは辞めずに続けた。最低時給だったものが勤続年のお陰で高くなる。大学にも行って居ないから大学の授業が終わってから働いていた夕方からの時間を深夜帯に変えて深夜料金が付いて貰える額が倍になった。しかも深夜帯に働くと僕のようなフリーターでも社会保険を付けられるという。これで僕は社会からの弾き者にはならずに済んだ、と良く分からない安心感を得た。
夕方から深夜の時間帯に変えて客層も変わった。
客数は勿論違うが、終電帰りのサラリーマン、OL、酔っ払い。平凡の僕は話し掛けられても普通にしか返せない。コンビニあるあるで「いつもの」と言われて銘柄も番号も聞かずに渡せるようになる。声が小さな客、大きな客、「急いでいるから早くしろ」と言う割にはお金を出すのが遅い客、小銭だけで払う客、万引きをしようとする客。毎日、毎日、毎日――この繰り返し。刺激もない、灰色の世界。
そこに、唯一色を持った女性が現れた。
僕の平凡で面白みもない世界に、唯一色を運んできた彼女。瞬き一つで絵になる彼女。陳列した商品を選ぶだけでも絵になる……何故深夜の時間に客として来るのか、名前は何なのか。この、平凡な僕にしては平凡ではない日常で、これまた通常で考えられない事を口にした。この平凡な僕が……!
「僕と付き合って下さい……!」
レジに商品を置いた彼女に、そう言った。
その時の彼女と言えば大きな目を見開いてから――笑みを浮かべた。
花が咲くような笑顔、という表現が合うような完璧な微笑みだった。桃色のグロスが塗られた唇が仄かに開き白い歯が見え隠れする。耳にかけていた横髪が落ち、彼女の頬に落ちた。彼女はそれを細い指で掬い、元にあった耳の裏にかける。それさえも一つの物語で映画のようだった。映画さえ見ない僕なのに、評論家になったような気になって彼女をそう評価した。
「いいわよ」
瞬きした彼女は長い睫毛を震わせながら、僕の目を見てそう答えて、彼女はまた笑った。それは、先程の女神のような微笑みではなく、無邪気で無垢そのものだった。
この女神に服従し平伏しても良いと思えた。
完璧な笑顔だった。僕が平凡な男ではなくただの男なのだと思わせてくれる程に。
※
彼女と並んで歩く時、通り過ぎた男たちが皆、彼女に見惚れそして僕を見てひどく失望したような瞳をする。僕では不釣り合いだと言いたいのだろう。でも、お前たちは隣りに居る事さえ出来ない。それを許されたのはこの平凡な僕なのだ。お前たちでは話し掛けられたか?
彼女の部屋には一度も行った事がなかった。「他人を入れたくない」という理由で、彼女は僕にとって女神だったので僕はそれを不服に思う事はなかった。もっぱら、僕の部屋で過ごした。
彼女の仕事に関しても僕は訊ねなかった。彼女が言わないのなら、言いたくないのだろう、そういう判断だった。なんとなくだが、看護師かと思った。たまに彼女から病院で匂うアルコールの消毒液の匂いがしたから。
彼女は僕の殺風景な部屋を気に入ってくれた。
「物があるのって好きじゃないの」
趣味がない、っていう事を初めて感謝した。
ベッドに座ってテレビを見る。特に好きな番組もない僕は彼女に何の番組が好きかを訊ねた。
「僕、好きなテレビとかなくて……」
「私、どんなのを見ると思う?」
「えっと……ニュース番組とか?」
「そこは普通『恋愛ドラマ』って言わない?」彼女は腹を抱えて笑って「ニュース番組なんて娯楽でもなんでもないわ」と破顔した。
ひどく笑ってくれたので、僕も釣られて笑った。僕でも人を笑わせられるのかと思った。
「私、お笑い番組好きよ」
彼女は自分が好きな芸人の名前を挙げて行き僕が知らないというと驚いて「今度お笑いライブに行きましょう」と誘ってくれた。本当に嬉しくて、これが数日後に現実になった時は夢でも見ているのではないかと思って頬を抓った。痛かった。
その数日後、僕は不相応なホテルのレストランを予約して、これまた不相応なホテルを予約した。下心はないと言えば嘘になるが、僕は趣味もないからお金を使う事もなく、光熱費と食費にしか金を使わない男で無駄に貯金はあったから、彼女の為に使おうと思った。今まで平凡に生きてきた僕は彼女をどこに誘おうかも分からず、まして免許もない僕はロマンチックに夜景を観に行くことも出来ない。僕でも敷居は高くないだろうと思って高いホテルと部屋を取ったが、緊張してしまい食事の味が分からなかった。
ただ、彼女の食べ方はひどく綺麗だった。
一番高い部屋で、そこの窓から見える夜景は部屋の窓の光がまるで星のようだった。
僕たち二人は彼女と向かい合ってソファに腰かけて眺めた。
「高かったんじない?」
「趣味もないから貯金はあるんだ」
「私が変な女だったら、貴方のお金目当てで付き合ってたわ」
フフっと笑った彼女を見て僕は呆然と見た。今更だが――なぜ彼女が平凡な僕の告白を受け入れてくれたのかと疑問に思ったのだ。
僕の表情を見て、僕の疑問に気付いたのか。そんな僕を見て彼女は微笑んだ。出会った時と同じ、初めて見た時と同じ笑みだった。
「貴方は自分の事を平凡だからって言うけど……私は貴方のそういう平凡さが好きなのよ」
彼女から「好き」と言われたのは初めてだった。
「貴方の平凡さ、好きよ」
テーブルに置いた掌の上に彼女の小さな手が重なった。皺もない、綺麗な手で長いほっそりとした指だった。
「私にはない、平凡さだもの。それは貴方の武器よ」
その時の笑顔は――悲し気だった。でも一瞬でそれは消え去って、いつもの綺麗な打ちどころのない完璧な微笑みとなる。
どちらが先だったのだろう。
僕と彼女は唇を重ねていた。
平凡な僕はこの年になって童貞だったから、彼女の唇の想像以上の唇の柔らかさに酔いしれ、がっついた。案の定パンツはキスだけで膨らみ、主張していた。彼女はそれを見て馬鹿にする事もなく、僕をベッドに倒すと僕の上に跨って、自分で下着ごと上着を脱いだ。
女神に合う綺麗な形をした双丘を両腕を伸ばして揉みしだいた。手を動かせば指が吸い付くかのように沈んで行く。その中心にあるピンクの突起に触れると、彼女は喘いだ。
指で跳ねて、指先で捏ねるようにして弄るとその突起はピンと勃ち硬くなってヒクヒクと美味しそうに震え――今度は上に乗った彼女を僕は押し倒して彼女のそこを口に含んで舐めしゃぶった。
ぴちゃぴちゃと唾液の音が響く。片手で舐めていない乳房を揉んだ。彼女からは甘い、高い声が洩れていつもと違う声に興奮した。悲しきかな、僕は童貞でこれだけで僕の物は出そうだった。なんせ先っちょから既に精液が洩れていてパンツに染みを作ってしまっているのだ。そこだけは彼女は可笑しそうに笑ってくれた。
トランクスごとパンツと一緒になって下におろす。ブルンと音をたてるかのように、僕の肉棒は揺れた。
平凡な僕の平凡な大きさと長さを持った分身にコンドームを付けて、自分の付け根を持ち彼女の蜜口に当てて腰を前に動かしたが……上手く入らずに何度もずれる。
「焦らしてるの?」
「え、いや」
顔が熱い。自分の顔は見えないがきっと真っ赤だろう。
僕は情けなかった。そうこうしてたら、彼女は起き上がり僕を座らせてその上に跨り――僕の肉棒に膣口を当てて、一気に腰を下ろした。彼女の中はとても暖かくて、膣壁が蠢き僕を千切ってしまいそうだった。僕は彼女の奥に辿り着く前にゴムの中に果ててしまい、恥ずかしくて死にそうだった。
そのまま、彼女は奥まで僕の亀頭を当てて、僕に抱き着いた。
「ごめん、いっちゃった……」
「若いんだから、まだ出来るでしょ?」
「でも、ゴム」
「いいわ。薬飲むから」
(そう言えば、彼女は看護師だったか)
彼女が僕に跨ったまま、背中を仰け反って手を後に置いてシーツを掴んだまま、腰を揺らした。すると僕の息子はむくむくと硬さを持ち、彼女のその痴態に興奮して勃起した。
パチュンパチュンと水滴と肉のぶつかり音。かってが分かってきた僕は彼女の腰を抱いて腰を本能のままに動かした。
「あっ、いいっ……もっと、強くていいからっ」
「はっ、あっ、うっううううううっ」
がむしゃらに腰を上下していたら、彼女が僕にしがみ付くようにして抱き着いてきた。僕はそんな彼女の背中に腕を回して抱き締め返した。僕は彼女の中で爆ぜた。
ドクドクと音を立てるかのように彼女の中に出す感覚に寄っていると、彼女は僕の耳にそっと囁いた。
なぜそんな事を囁いたのか。
「私ね。人殺しなの」
息をするかのように淡々と告げる彼女。
僕はそれを黙って聞いていた。
「沢山、殺しているのよ」
先程の、体温を上げるセックスはどうしたんだろう。
まるで、今日の予定を告げるかのように彼女は言った。
「殺人鬼なの。昨日も殺した」
これはなんの冗談なのか、僕には分からなかった。
でも、彼女の告発を聞いて僕は彼女を好きなのは変わらなかった。平凡な僕はこれは彼女の何かの冗談だと思った。でも笑い飛ばすような事はしちゃいけないと思った。なぜだろう?
僕は、彼女からゆっくりと離れて彼女の顔を見る。
いつもと変わらない、完璧な笑みを浮かべて彼女はそこに居た。
「僕は、告発しないよ。君が人殺しでも」
彼女の瞳を見て答えた。
「君が人殺しだって僕が言わなきゃ、永久に分からないんだろう?」
そうだ。
この僕が言わなきゃ真相は闇の中なんだ。
彼女と初めて共有した秘密を僕が言うわけないじゃないか。
彼女のいう言葉が真実かなんか、僕には分からないけれど。
でも――彼女は僕がそういうと、静かに涙を流した。いつだって笑顔の彼女が涙し……その涙は真珠のように綺麗だった。
彼女は両手で顔を覆い、僕の前で静かに泣き続けた。
※
冒頭に戻ろう。
美人薄命。彼女は病気で亡くなった。
彼女の告発から、あれから彼女はその事に一切触れず普通に時を過ごした。僕もあれには触れなかった。あれは、彼女の冗談だと思うようにした。平凡な僕に美人な彼女は出来たけど、流石に人殺しは居ないだろう。でも、あの時の答えは僕は間違っていなかったと思う。僕は本当に彼女が人殺しでも告発はしない。
彼女と行っていたお笑いライブは感染症が流行し、自粛モードになってお笑いライブは悉く中止となった。そして看護師の彼女は――と言っても看護師だと彼女から聞いた事はないけど、仕事が忙しいらしく滅多に会えなくなった。
いつもの深夜コンビニでバイト、いつもの客の相手、いつもと違うのは僕に彼女が居る事で、そんな彼女とメールはしているという事。それだけでいつもの風景は平凡ではなくなるし、僕をヒーローのように思わせてくれる。
でも、それは一本の電話で罅が入りガタガタに崩れ去った。
番号は彼女の番号からで嬉々として出ると、声は男性だった。まずここで一つ目の罅。
「――でしょうか?」と僕の名前を呼び、僕は震えるを抑えて肯定する。すると重い沈黙が流れ「――さんがお亡くなりになりました」
ここで二つ目の罅。
僕の心は修復不可能な程に、崩れて跡形もなくなった。
※
彼女は身寄りがないらしく、携帯電話には僕の番号だけが登録されていたらしく彼女の同僚が僕に電話を掛けたという。彼女は本当に看護師だったらしく、亡くなった理由は感染症だった。「若いのに」という彼女の同僚の声がまるで「なぜお前じゃないんだ」と言っているように聞こえてしまう程、僕は憔悴しきっていた。
彼女の葬式には出れなかったが、身請け引き受け人として彼女の遺骨は貰えた。
知らなかったが、彼女は緊急連絡先も僕にしていたらしく、何故か同居人として僕の名前が書かれていた。そのお陰で僕は管理会社から鍵を貰えて彼女の遺品は僕が自由にして良いと彼女の住む許可を得て僕は彼女の部屋の鍵を開けた。
しんと静まった部屋。持ち主を失くした部屋。でも、彼女の香りはする。
どこからか出てきてもおかしくない程に、まだ彼女の温もりが感じられるような部屋だった。
なんせ僕は彼女の死体を目にしていないのだ。本当は生きているのではないか。
前に僕に言った時のように殺風景な部屋でベッドしかなかった。お笑い好きって言っていた彼女はどうやって テレビを見ていたのだろう? 携帯でも見れる時代だからな。台所を覗くと調理器具さえない。カップもない。本当に生活していたのだろうか。
彼女の骨壺を僕は床に置いてクローゼットに向かった。
遺品と言っても、物という物がないように思えて僕はクローゼットの中を開けると彼女が今まで着ていた服が並んでいた。それを一枚手に取ると顔につけて思いっきし鼻を吸って彼女の香りを思い出していた。本当に彼女は居ないのか。
そうやって変態じみた事をしてから、しゃがみこんでクローゼットの奥に手を突っ込むと固い何かに当たり、手を上下に動かすとノートが何冊にも重なっているかのような感触だった。その一番上を手に取り、それを引っ張ると案の定大学ノートだった。中に写真が沢山貼ってあるようで、この部屋にある生活らしきものの二つ目だ。そして、クローゼットに転がったデジタルカメラに気が付いて僕はそれを手に取った。この部屋にある唯一の電化製品だ。そしてクローゼットにフォトプリンターも置いてあった。
彼女が写真好きだとは知らなかったと、電源ボタンを押すと緑ボタンが点滅し、電源が入った事を知らせる。デジタルカメラの画面が写し出され、僕は何ともなしに『次へ』のボタンを押して写真を見た。
写し出されるそれに、僕は目を見開いて、ひたすら『次へ』ボタンを押し続ける。何度も、何度も、何度も、何度も――
「――っ」
ゴトッ!
カメラを床に落とし、僕はその場に腰を抜かした。
そこに写し出されていたのは、平凡な僕には不釣り合いの、非日常的なものだった。
手元に先程手に取ったノートが触れる。中には大量の写真が貼ってある。写真……?
ゴクリと唾を飲み込んだ。その音がやけに響く。
ノートの表紙を開くと一ページに人間だった顔があった。
白黒ではあったが顔はぐちゃぐちゃに切り刻まれたかのようになり、眼球は飛び出し原型を止めていなかった。それはデジカメに撮ってあった写真と似たようなものでデジカメの中には見知らぬ誰かの写真がそうやって記録を取るかのよう写っていた。
出来の良い作り物だと思った。でも、その写真の下に書かれた日付の字は、彼女の筆跡とそっくりだった。
彼女の言葉が思い出された。
『昨日も殺した』
(あれは日付はいつだったか)
震える手でデジカメを取り、記憶を思い起こしてデートの日の前日の日付を探す。写真は一枚あった。
その日だけ、写真の他に動画もあった。僕は、それを開く勇気は今はなかった。
写真の日付を全部チェックすれば、彼女と会っていなかった日付が全部そこにある。動画はやはり一点のみだった。
これは、何かの、間違いでは?
ヘンな男に、殺人鬼に引っかかって、とか……
『私ね。人殺しなの』
『沢山、殺しているのよ』
『殺人鬼なの。昨日も殺した』
あれは、冗談でもなんでもなく、本当だった、のか
唐突に吐き気が襲い、僕はトイレへ駆けこんだ。――ドアを開けると、閉じられた便器の上に一枚の封筒が置かれていて、僕は便器に吐けずに床に吐いてしまった。
オエオエと吐く。その臭いにもまた吐き気を伴ってしまい、吐き続けていると終いには吐けるものがなくなってしまう。口の中に独特の酸っぱい匂いが広がっていった。
咽ながら口元を服の袖で抑えて、便器に置かれた封筒を僕は手に取った。宛先も書かれていないシンプルな茶封筒の封を僕は開けて中を覗くと一枚の紙が丁寧に折られていて、僕はそれを取り出して、開いて中に目を通すと、僕はまたその場で吐いてしまった。
『親愛なる――へ』
『トイレで吐いてしまったら綺麗に片付けてね』
※
彼女に言われた通り綺麗に片付けてからトイレのドアをゆっくりと閉めた。口を水道で濯いで彼女の使っていただろうベッドへ腰かける。
バクバクとなっていた心臓が通常の速度になり、僕は彼女からの手紙を手に持ったまま動かなかった。
自分の彼女が殺人鬼だった、と非日常的な事が判明しても不思議と僕の中の彼女はまだ美しいままだった。吐いたのも死体を目にした事が初めてだからだ。僕は可笑しいのだろうか……?
彼女を告発しない、と言ったのは本当。
『君が人殺しだって僕が言わなきゃ、永久に分からないんだろう?』
その通りだ。
彼女と初めて共有した秘密を僕が言うわけない。
きっと、あの時彼女はそれを分かっていた。
僕は彼女の手紙の続きを読んだ。
『この部屋は貴方の名前で契約もしてあります。好きに使って。
ベッドの下に道具があります。
好きに使って。
私と貴方の二人だけの秘密です』
僕は――彼女の言う通りにベットの下を覗いた。
※
今、僕は人生で初めて死に物狂いで走っている。
胸が苦しいけれど立ち止まってはいけない、後ろを振り向いてもいけない。前だけを見ろ。
僕だけが、彼女が生きていた軌跡を残さなければ。
僕が、彼女の意思を受け継ぐ事のできる、唯一の人間なのだから。
平凡な僕は平凡に生活を送る。
深夜のバイトのコンビニで当たり前に接客して、毎日、毎日、毎日、同じ事の繰り返しをして。
平凡は僕の武器。
僕の、武器なのだ。唯一誇れる僕の武器。
「あ、あの」
商品を丁寧に一個ずつ、客が用意したマイバックに詰めていく。
ショートカットの女性で、確か……終電あとにいつもコンビニによるOLだ。彼女は何故か頬を染めながらしどろもどろだった。
「これ、良かったら」
OLはそう言って僕に自分が買った栄養ドリンクを手渡した。
「いつも、頑張ってる貴方に」と頬を染めながら、彼女は僕に笑いかけた。僕もそれに応えるように、照れながら微笑むと彼女は俯きながら商品を受け取ったが、中々立ち去ろうとしない。深夜で暇だから別に構わないけれど。
僕は栄養ドリンクを手に取ると、ドリンクの下にメモが置かれているのに気が付いた。僕は四つ折りに置かれたメモを開いた。
可愛らしい丸い文字で連絡先が書いてあった。
その時の僕と言えば目を見開いてから――笑みを浮かべた。
完璧までに、無邪気で無垢な子供のように。
あの時の彼女のように、微笑みかけたのだ。
灰色の世界が色を付けていった。
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