偽作の館

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 作家とはいえ、口上にまでに文芸的な響きを用いることは無い。いたって簡単な、文章の中身を少し変えれば、ネットに幾らでも転がっているような、定型じみた内容だった。こちらの方が、世間的な正解なのだろう。  が、僕はこういった凡庸なものにも、文学性を求めずにはいられない瞬間が度々ある。各々の一瞬間を結べば、線分を成すのではないのかという程に────。  だからきっと、言葉に詰まることが多いのだ。文学的余情とは、日常生活の場においては、なかなか顔を出さない。まるで深海まで潜らんとする白鯨のようだ。  その甘美たるカタマリは、どうあがこうにも食事用のスプーンで救うには困難にすぎる。引き出すためには、艱難辛苦の波止場に出向き、大いなる(あぎと)と対面しながら、自らの手と脳が汚濁にまみれることをも躊躇(ためら)わぬ銛打ち士になる心算が必要なのだ。
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