偽作の館

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 あれこれ考えていたが、とりあえず饗応を受けることにした。今夜は有り体に言えば、立食パーティーだ。ディッシュをつまんで、酒を呑み、語らう。僕もこのフォーミュラに従ってみよう。  向こうのテーブルに置かれていたカプレーゼが目に留まった。カプレーゼを見ると、伊藤計劃の『ハーモニー』を想起せずにはいられない。あれはカプレーゼの色彩が情景描写に一役買っている。赤、白、緑の鮮やかなコントラストは、見る人に食欲を起こすだけではなく、芸術的なモチーフとしても十分機能し得る。そして事実、これは旨いのだ。文句のつけようがないだろう。  僕は自分の小皿に少し多めにカプレーゼを取り分けた。 「カプレーゼ、お好きなんですか」 声をかけてきたのは僕と同様、まだ年若いと思われる女性だった。  歳柄に珍しく和服を着ていた。結われた髪は、漆の様に黒いが、絹を思わせる艶やかさがある。ほどいても非常に美しいだろう。瞳は眠たげな一重だった。顔の造形は整っているとは言えないが、ある種の奥ゆかしさがある。芥川の言っていた、月明りの下にいるような女性とは、彼女のような人を指すのだろうか。 「ええ好きです。味は言うまでもなく、僕はこの色彩が好きなんです。小説の小道具に使っても充分、色彩表現の機能を果たす」 僕は、普段こういった文芸的な会話のできぬ反動か、些か堰を切ったかのような饒舌さが顕現した。 「確かに、こういったヴィヴィッドな色合いは、文字媒体に変換しても死ぬことは無いでしょうね。あなた・・・というのも変ですね。名前をお聞きしても?私は、Kという名前で活動しています」 「ああ、Kさんでしたか。作品は失礼ながら拝読していませんが、名前は何度も聞いたことがあります。私は、Zと申します駆け出しの作家です。以後お見知りおきを」  僕はこういう返事をしたが、彼女の作品を読んでいないということに罪悪感はなかった。処世術とはつくづく高慢な自衛だと思った。が、僕は己が信望を捧げる作家以外の作品は読まないことにしている。  偉大なる先駆者の言葉を借りれば、間違った井戸から水を汲むわけにはいかないということだ。この「間違っている」という表現は、些か誤謬を生みやすい。あえて換言するならば、腹の性質に合致しないとでも言うべきだろうか。  日本人は、普段は軟水を飲んでいるから、欧州のミネラルウォーターを飲むと、腹を下すことがあるそうだ。そういうことなのだ。 「Zさんでしたか。私、この前雑誌に掲載されていた短編は読みましたよ。格式高い調子でしたので、もう少し年を取った方かと思いましたが・・・お若いのですね」  そういうとK氏は微笑した。笑うと一層目が細くなって、名刀のつくった擦過傷のようになった。が、それは随分と可愛らしいものに思えた。
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