第一章 第一話    リラの花 1916年 夏 

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   運転している友人は楽しそうに笑っている。既に夏休みに入ったというのに、なぜか大学の制服の上着を羽織(はお)ったままだ。痩せているが、背は高く、黒い髪に黒い瞳の若者。  母親は、極東(きょくとう)の日本から嫁いできていたと言っていたが、アナトリーに、その面差(おもざ)しは特段感じない。初めて聞いたとき、思わず「お母さんはゲイシャか?」とか尋ねてしまい、不興(ふきょう)を買ったことは言うまでもなかった。ゲイシャではないそうだ。  その母親も、日露戦争直後は目立たないよう、心掛けていたという話だが、最近は、アナトリーの父親が経営する店で、仕事を手伝いつつ、主婦として暮らしているという話だった。 「まあ元気にしてるよ。そっちは?」 「俺は忙しいぞ。まずは、これから妹を迎えに行くところ。夏休みで家に帰ってくるんだ」 「妹?」 「そう、前に話したことあるだろ。マリア記念女学校に行ってる妹。中等部生」 「ああ、そういえば、そんな話をしていたな」  教育熱心で有名なお嬢様学校だ。
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