嘘は言ってない

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 昨夜は、ほとんど眠れなかった。早めにお風呂に入って、着て行く服も用意して、歯磨きも念入りにして布団に入ったのが23時くらい。  でも布団の中で明日のことをあれこれ考えていたら、夜中になっていた。9時に待ち合わせだから7時には起きないといけないのに、焦れば焦るほど眠れなかった。ようやく眠りについたのは3時を過ぎていただろう。  7回目の目覚ましの音できっちり? 7時40分に起きた私は、朝食も摂らず、でも身支度だけにはしっかり時間をかけて家を出た。  待ち合わせ場所である駅前の大時計前に、20分ほど早く着いた。まだ彼は来ていない。このときすでに胃がシクシク痛むのを感じていた。たいしたことはない。良くあることだと、そう自分に言い聞かせて彼を待った。  彼は5分前に待ち合わせ場所にやってきた。 「杏(あんず)だよね? 悪い、待った?」 「あ、北神(きたかみ)さん。うぅん、ちょっとだけ」 「「えっと、始めまして」」  そう言い合って笑った。  彼の名は北神裕斗(ゆうと)。4つ年上の大学3年生だ。とある歌手のファンサイトで知り合って3年になる。いつか一緒にライブに行こうね、と言っていたのが今日、ようやく実現したのだ。  写真の交換はすでに何度もしている。メールのやりとりにいたっては何十往復したか知れない。もう気心は知れている。  だけど、実際に会うのは今日が初めてだ。私は緊張していた。腹痛が起こっていることに気づかないでいられるほどに。  でも、このときにはもう私の胃は相当痛んでいた。寝不足が響いたのかも知れない。朝食を抜いたのも良くなかったかも知れない。だけどそんなこと気にならなかった。最初のうちは。  午前中は買い物に付き合ってもらってどこかで軽く昼食を摂って、夕方には私たちが付き合うきっかけを作ってくれたあのミュージシャンのライブに行く予定である。  でも私の胃はそこまで持たなかった。  昼食を摂れば治ると思っていたのに、ますます酷くなってしまったのだ。脂汗がにじみ出てきた。そして、彼に気づかれてしまった。 「杏、最初からおかしいとは思ってたんだ、どこか悪いんじゃないのか?」 「う、うん。ごめん。ちょっとお腹が」  彼はしばらく途方に暮れたようだった。言い方がまずかったか。生理痛と勘違いされたかも知れない。違うの、そうじゃなくて。 「杏、俺を信用できるな?」 「え?」 「君を休ませてあげられる場所、俺にはあそこしか思い付かない」  私はもう身体をまっすぐにしているだけで苦痛だった。あそこしかない、と言われて予想はついた。だけど、それを拒否できなかった。もう立っているのも辛かったのだ。  そして、一番近くになったホテルにふたりで入った。ここがどういうところか、私だって知っている。だけど、信じろと言った彼を信じる以外にはなかった。 「苦しんでいる君を襲ったりはしないから、安心して横になってくれ」  彼はそう言って、ちょっとだけ出かけてくると言って部屋を出ていった。彼が出ていったのを見届けて私は下着だけになって、ベッドに潜り込んだ。  彼がどこへ行ったのか、それは聞かなかった。それより一刻も早く身体を休めたかったのだ。早く直さないとライブが始まってしまうという焦りもあった。でも、ベッドに入っても痛みが和らぐことはなかった。私はベッドの上でのたうち回りながら苦痛に耐えていた。  5分ほどで彼が息を切らして帰って来た。 「まだ痛むか?」 「う、うん。もうちょっとかかりそう」 「じゃあ、まずこれを飲んで」  そういってポカリスエットを差し出した。嫌いじゃないけど、お腹が痛いときに飲むようなものだろうか。  そういう私の気持ちを察したのか、彼は言った。 「おそらく胃酸が君の胃を攻撃してるんだ。アルカリ飲料は胃酸を和らげてくれる。さぁ飲んで」 「う、うん。ありがとう」  ホテルに備え付けの紙コップに注いでもらったポカリを私は飲んだ。 「それにガスター10とロキソニンも買ってきた。まずはガスター10から試そう。胃酸過多ならこれが一番効くはずだ」  医者なの? と言いたくなるぐらいに彼はクスリに詳しかった。胃痛薬なんて全部同じと思っていたが、症状によって違うのだそうだ。 「飲んだら横を向いて、身体をくの字に曲げたほうが痛みが和らぐ可能性がある」 「こ、こう?」 「そう、そんな感じ。胃が痛いというのは、胃酸によって胃の内壁が溶かされているからだ。酷いと穴が空く。通常、胃の内壁は分泌する粘膜で胃酸から守られている。それがストレスなどによって粘膜が薄くなると、今の君のように胃壁を胃酸が攻撃してしまうんだ。だからポカリで胃酸を薄め、ガスター10でさらに薄めているわけだ。身体を曲げるのは胃を圧縮するためだ。粘膜の薄くなった部分に圧力をかけて胃酸から守ろう……あれ、寝ちゃった?」  彼に言われた通りにクスリを飲み横向きにくの字になると、痛みが和らいで行くのを感じた。そして、昨夜の睡眠不足もあったのだろう、長い彼の説明を聞いているうちに深い眠りに落ちていた。  目が覚めると、痛みはすっかり消えていた。彼は私のベッドにもたれかかるようにして腕を組んで眠っていた。でも、私が起きるとほぼ同時に目が覚めたようだった。 「おっ、目が覚めたか。どう、痛みは?」 「うん、もう大丈夫」 「そうか、クスリが効いたようだね。それは良かった。まだライブまでは2時間以上ある。会場はすぐそこだから、もう少しゆっくりできる」 「うん、ありがとう。ごめん、迷惑かけて……え? ちょ、ちょっと? 北神さん? あの」  なんと、彼は私の布団に潜り込んで来たのだ。まさか、北神さんもライブまで寝るつもりなの? それなら私はどかないと。だけど私は下着しか着てなうぐっ!?  いきなりキスされた。どうして? この状況ですることなの? 「ね、ねえってば。ちょっと待ってよ!」 「どうした? まだ痛むのか?」 「そうじゃないけど、そうじゃないけど」 「なんで繰り返した? 痛みがなくなったのなら、続きをしよう」 「待っててば、もう!」 「杏、ここはどこだっけ?」 「え? えっと。ラブホテルの中」 「正解。そしてその中で俺たちはふたりきりだ」 「いや、待ってってば。北神さん、さっきなにもしないって」 「そんなこと言ってないぞ?」 「言ったわよ! だから私はうぐっ?」  またキスされた 「もう、ダメだってば。襲わないって約束」 「そんな約束はしてないよ。俺は、苦しんでいる女の子を襲ったりはしない、って言ったんだ。どこに苦しんでいる女の子がいる?」 「ぐっ」  そう言われると反論ができない。 「もちろん、君が苦しんでいる以上は絶対になにもしない。しなかっただろ?」 「え? うん、それはそうだったけど。あれ、だって、そんなこと」 「でも今は治ったんだよね?」 「あ、うん。それはそうだけきゃぁぁぁ」  それから私はたいした抵抗もできず、何度もキスをされ、下着を脱がされ、そして……。  確かに彼は嘘は言ってない。私が苦しんでいるうちに、彼は精一杯の看病をしてくれた。指一本触れもしなかった。それは恩に感じている。それに、私だって多少は期待もしてきたのだ。  だけど。だけどどうしてだろう。なんだかモヤモヤするのは?
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