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「愛せない。
母親を愛せない。
彼女を憎んでない。
ただ、愛してないだけ」
彼女はフォアローゼスのロックをゆっくり味わいながら、
独り言のように呟いた。それは詩の一節を暗唱しているように感じられた。
声に抑揚がなく、感情もなく、国語の教師が教科書を朗読しているようにも感じられた。
彼女は僕の恋人だ。
僕の恋人は美しい。
父親によく似ているそうだ。
きっと父親も美形なのだろう。彼女の父親は、数年前に胃癌で亡くなっているそうだ。
彼女から母親の話は、ほとんど聞いたことがなかったのだが、まるで独り言のように
彼女は
「愛していない」
を繰り返した。
「あなたは偉いわね。親孝行をちゃんとしていて。親孝行をするのが好きで、母親を愛していて、偉いわ」
彼女は僕の方を向いて言った。
普段、僕はマザコンで精神的に自立していなくて、そこがとても嫌いだと批判されるのに、今夜の彼女は攻撃的ではなく、僕を尊敬と優しさのこもった眼差しで見つめていた。
「急にどうしたのさ?いつもならマザコンマザコンって僕をなじるくせに」
僕は戸惑いが隠せず、そして日頃の責めに対する不満の蓄積もあり、少しきつい物言いで彼女に言った。
「今日は、私の母親の誕生日なのよ。1年に1度は、彼女のことを思い出す日だわ。でも、もうお祝いの贈物はしないの。若い頃には随分無理をして高価なプレゼントを贈ったものだけれど、高価なものほど、喜ばれた試ためしはなかったわね。それでも、あのころは彼女を喜ばせたい気持ちがあったのよ」
彼女はフォアローゼスの追加をオーダーしながら、
抑揚のない声で話し出した。
今夜は、僕に身の上話を聞かせたい気分のようだ。
それにしても、少し違和感を感じた。
自分の誕生日に、自分を産んでくれたことに感謝して、母親のことを思い出すという類の話はよく聞くが、母親の誕生日の日に、愛してもいない母親のことを思い出すというのは、どういう意味なのだろう……。そもそも親を本気で愛していないなんてことあるものなのか。愛情の裏返しで憎むことはあるのかもしれない。虐待されたとか、過干渉がつらかったとか、いわゆる流行りの言葉で表現したら、毒親だから憎んでしまうということなら、とてもわかりやすいし、有り得ることだと思う。
愛していないという言葉を、彼女はなぜこんなに強調するのだろう。僕は彼女の言葉の真意が汲み取れなくて、心がざわついたが、上手い言葉も思いつかず、ただ、黙って聞いていた。
彼女は僕が聞いていようがいまいが、どうでもいい様子で
グラスに視線を落としたまま、静かに話し続けた。
「私の実家はススキノで飲み屋を経営してたのよ。料理をたくさん提供してたから、正確には居酒屋かしら。共働きだったわ。私は赤ちゃんの頃から店の上の部屋で寝泊まりして、朝になると、店を閉めた両親におぶわれて、家に帰った。幼稚園に入るまでは、そんな生活だったわね。その頃が一番、幸せだった気がする。母は、怒ると私が気を失うほどぶつ癖があったけど、でも、幼稚園に入園するまでは、いつも一緒に過ごしていて、寂しいと思わないでいられた」
彼女はここまで話してから
「こんな話、退屈ね」
と笑った。
「幼稚園に入ったら、なにがあったの?」
僕は先を促した。彼女は僕に話を聞いてほしいのだと感じたから。
いつも、かわいいけど頼りないと言われている僕としては、彼女の泣き言はご褒美だった。男として、彼女を支えてあげる役割が巡ってきたことに、喜びを感じた。不謹慎かもしれないけれど。
「幼稚園に入園したら、私は登園時刻に間に合うようにと、夜は家で留守番になった。母親が用意してくれた布団の枕元に、着替えと幼稚園バッグと目覚まし時計を用意して、パジャマに着替えたら、布団に潜り込む。夜の八時に寝る約束で、母は私を布団に入れると豆電球をつけて出かけて行った。私はすぐには寝付けないから、羊を数えたり、自分の手を豆電球の明かりにかざしたりして、時間を潰した。豆電球だけでは、お化けが襲いかかって来るような気がして、部屋の明かりをつけて、昼間のように明るくしないと安心して眠れない日も多かった。4歳だったから、今ではネグレクトって言われてしまうかもしれないわね。」
そこで一旦言葉をきり、彼女はくすくす笑いだした。
「私がその頃住んでいた家は、元々連れ込み旅館だったのよ」
彼女は僕の方を向いて
「連れ込み旅館の意味わかる?」
と聞いてきた。そして、
「いやね、年齢を思い出しちゃうわ。こんな言葉、死語だもの」
うんざりした顔でフォアローゼスを煽る彼女の横顔は、確かにいつもより老けて見えた。
彼女は40代半ばだけど、普段は10歳は若く見える。イキイキとしていて、人目を引く彼女は、僕の自慢の恋人だ。
「昔のラブホテルのことよ、連れ込み旅館って」
僕も本で読んで知識はあったが、彼女は僕が知らないだろうと決め込んで説明した。
「だから、私の家は大家さんの家とつながっていて、1階のある扉を開けると、大家さんの家のリビングに入れるのよ。2階にもそんなふうに大家さんの家に通じるドアはあったらしいけど、そこは塞がれていて、出入りできなかったし、私はその場所を知らなかった。夜中、お化けが怖くて眠れなかったり、トイレに行った後、部屋に戻る道のりが暗くて怖くて部屋に戻りたくない時、真夜中でも大家さんは起きてたから、扉を開けて、大家さんの家のリビングに入り込んだものよ。大家さんというのは私の大叔父の愛人で、大叔父に私は気に入られてたから、上手くいけば、大叔父のベッドに潜り込んで一緒に眠ることができたの。それを目論んで行くわけだけど、毎回そうなるとは限らなかった。」
彼女は、小さなため息をついて、ことばを切った。
「こんなつまんないこと、なんであなたに話してるのかしらね」
ふふふっと笑う彼女は、自嘲気味だ。酔いが回ってきているのだろう。
「思い出話、聞きたいよ。いつも教えてくれないのだもの」
僕が言うと、彼女は大げさに眉をあげて僕を見つめた。
「優しいのね」
彼女は僕のために、バーテンを呼んで、少し値の張る銘柄のブランデーをオーダーしてくれた。
「大叔父のベッドに潜り込ませて貰えない時は、大家さんが私の両親の店に電話をかけてくれるの。でも私はあまりそれが好きじゃなかった。電話に出た母は、イライラした声で『今忙しい! 』と怒鳴ってガチャンと乱暴に電話を切るだけだから。私はますますさびしい気持ちになるだけだった。その頃、私はさびしいという言葉を知らなかったから、自分がさびしくて悲しいということを知らなかった。そしてずっと知らないまま、大人になった。大人になっても、自分がさびしくて悲しくて侘しい人間なんだということに気が付かなかったしね。
出産して、自分に対する見方が変わった。子供を愛し子供に愛されるようになると、自分がいかにさびしく悲しい人間で、愛されたいという渇望を抱えていたのか思い知らされた。子供たちは、私を救ってくれた天使ね。本当にそう思うわ。
そしてだんだん気がつくようになったの。
私がいかに母親に愛されていなかったかということについて、ね。
母は私の誕生日をいつも忘れていて、ひと月もあとに、先月はあなたの誕生日だったわね、忙しくて忘れていたわと笑ってた。だから、誕生日のお祝いはいつもなかった。忙しいのだから仕方ないと、私の方もよその子のようにお祝いしてもらうことは、あきらめていた。
だけど母は、面白い人でね。父や私が自分の誕生日にお祝いやプレゼントを用意しないと、本気で怒り暴れるような人だった。
だからずっと、忘れないように気をつけて、プレゼントや、ケーキを用意した。父が母の誕生日に仕事を優先させて、家にいてくれないと、母が荒れ狂うので、私は毎年祈ってた。どうか、お父さんがお母さんの誕生日を忘れないで、家に帰ってきてくれますようにって。
大抵、父は帰ってこなくて、母は怒り狂って狂人のようだった。
私は顔が父によく似ていたから、
『 顔を見ているだけでイラつく』とよくなじられ殴られた。
彼女は、お墓参りにお寺に行くと必ず水子地蔵のところに私を連れて行って言うの。
『 あなたにはお姉さんかお兄さんがいるのよ。堕ろしたから、水子なんだけれどね。だからあなたも祈りなさい。次に堕ろしたらもう妊娠は望めないって言われて、あなたがいるのよ』
お墓参りに毎年行っていたのは10歳くらいまでだから、私は母の言葉の意味をぼんやりとしか受け止められずに、黙って母の真似をしてお地蔵様に水をかけて手を合わせていた。
母の機嫌が良い時は、母は父に抱きつきながら私を見てこういうの。
『 子供のかわりはいくらでもいるけど、妻のかわりはいないものね。私さえいれば、子供が死んだって、また子供を作ればいいんだから困らないわよね。私が一番大切よね。かわりになる人間はいないものね』
私は幼い頃から社会人になって家を出るまで、このセリフを聞き続けてきたけれど、意味をはっきり理解して受け止めることはできなかった。
子供のかわりはいくらでもいるものなんだ。
その言葉は、私の中に深く刻み込まれたけど、私の中でその意味の酷さが理解できたのは、自分が子育てするようになってからだった。
私の子供たちが死んでしまったら?と考えることほど恐ろしいことはないもの。
そんな世界は考えられない。
私の子供に替えのきく存在なんていない。
この世に自分の子供がいなくなる日がきたら、その日から私は地獄の中に放り込まれたのと同じよ。苦痛で、生きていられるか分からない。
でも、私の母親にとって、私は取り替えのきく存在なのよね。
母は私を愛していない。
愛されていないということに気が付かずに、ずっと子供時代を過して来たけれど、皮肉にも、自分の子育て経験から、母親の本音をどんどん知ることになってしまったの。
私は愛されていない。
でも、母の本心に気がついて、気持ちがラクになったの。
私はいつも、ものすごく努力して、母親に優しくしたり、心配したりするフリをしていた。本当は心配してないし優しくしたいと思ってもいないのに、自分の心の冷たさがつらすぎて、思いやりのある娘を演じてきたの。
母に愛されてないと知った時、私が母を愛していないことに、罪の意識を感じなくてもいいんだと思ったのよ。
とても気が楽になったわ。
でも、自分の親を愛していない、なんの感情も持てない自分の冷たさがとても辛いし、恥ずかしく思っている。
世間の人達とズレているということが、恥ずかしいし苦痛なのよ。
でも、愛していない。憎む気持ちすら持っていない。
母親を思うことができない。
親を罵って憎む人達は、親を愛して求めているんだと思うの。
でも私は、何も求めていない。
日常で、母のことを思い出すことすらない。
思い出すのは、今日だけ。
『母親の誕生日は忘れるな』という呪いが解けないだけなの」
彼女は、すっかり氷の解けたグラスの中のフォアローゼスをいっきに飲み干した。
「場所を変えましょうか?」
微笑んで彼女は、僕を見つめた。僕は支払いを済ませるためにボーイを呼んだ。
今夜は彼女を僕の部屋に連れて帰ろう、そう思ったが黙って勘定を済ませ、彼女の手をとって店を出た。
外はゾッとするほど寒くて、今夜彼女を1人にしないでおけることに、僕は心底ほっとした。
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