終の一日

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終の一日

 九月。その老人は、誰にも知られることなく、ひっそりと人生を終えようとしていた。そこは、木造の戸建てと言えば聞こえは良いが、住居としての体を為していない。庭付きであっても、間取りは四畳半ほどの部屋が二つあるだけで、それ以外には、小さめの風呂場と炊事場しかない。その上、用を足すところは、簡易水洗式であるものの汲み取り式に変わりなく、夏場ともなれば臭いが伴う。  その家に住んでいる松戸光治郎と言う名の老人は、高知県の土佐の出身――同じ土佐でも海沿いになるが――で、人生の殆どを過ごしてきた。土佐の町を知り尽くし、その町のこと以外は何も知らない。けれど、誰よりも深く土佐の良さを理解している。  立秋を迎え九十歳となり、十分に生きたと言える。しかし、光治郎にとっての九十年間は、幸せと簡単には言えないものだった。臨終の際に家族がいないことも理由ではあるが、それ以上に、哀しみに暮れることが多かった。 「ああ……春人、朋絵……」  意識が遠退いていく中で、二人の名を呼んだ。目の前には狭い庭が広がり、それを縁側で座って眺めている。呼吸は不規則で、大きく呼吸をしようものなら、脈が飛ぶ感覚さえあった。  かつて、光治郎には二人の子がいた。別れた女房との間にできた子で、一男一女と言うやつだ。春人と言うのは、長男に当たる。生後すぐに病が見つかり、長くは生きられないと告知を受けていた。初めこそ女房も春人の為に寝る間も惜しんで家事や育児、内職にと忙しい日々を送ってはいたが、それも春人が五歳になる頃には辞めてしまった。  光治郎は、そんな女房を横目に家族を守らなければと、仕事に精を出した。無償で診る医者はいないし、受け入れる施設もない。治療費や入院費も決して安くはないのだ。結局、努力の甲斐はなく、子の世話を放って朝帰りが女房に目立つようになってしまう。次第に口論も増え、憎まれ口を叩くことが多くなった。その環境で二人の子を育てることは不可能だと判断するのに時間はかからない。合意の上で離婚届に判を押して一年後、再婚したとする報告と一緒に、一枚の大きな写真が額縁に入って送られてきた。それが、別れた女房との最後のやり取りだった。 「父ちゃんな、お前たちを幸せにできたんか……? ずっと、ずっとな、考えてきたんだが、よう分からんようになってしまったわ……」  誰かに聞かせる訳でもない言葉を紡ぐ光治郎の瞳には、薄らと涙が浮かんでいた。死ぬことに恐れはなく、失うものもない。そう自分に言い聞かせ、やがて訪れる死を待ち続けた。  とは言ったものの、忘れることのない想いはある。死んだ二人の子のことだ。長男の春人は、その生涯の大半を部屋の中で過ごした。それが春人の人生だった。時間の許す限り、何度も施設に足を運んだ。入院や手術が必要になれば、仕事を切り上げて病院にも通った。長く生きられないと分かってはいても、愛おしい我が子なのだ。  しかし、春人を中心とした生活の中で、長女の朋絵には苦労をかけた。元々、あまり主張したがらない性格だった――それは、一通の手紙を読んで間違いだと改めさせられた――が、淋しい思いをしても、食べるものに困ってお腹を空かせることがあっても、朋絵は「一日や二日くらい食べんでも死なんよ」と言って笑った。  その笑みは、光治郎にとっての戒めになっていた。欲しい物も買ってやれず、満足のいく食事すら用意できない。その現実が光治郎の、恐らくは、一番の大きな後悔である。  縁側に座る光治郎の右手には、手紙が握られていた。何度も読み返してきたのであろう、所々が破れている、〈お父ちゃんへ〉と書かれた手紙。入っていた二枚の便箋には、短めの文章であったが、とても重く感じられる言葉が書かれている。変わることのない、朋絵の綺麗な字で――。
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