事件

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事件

 ——なんで、俺はこんなところにいるんだ…  アーデルベルト魔道学校六年生であるマリウス・ノイマン、通称マリリンは、豪華な建物の一室で独りごちていた。  ことの起こりは三時間前。  冬季休暇が明日から始まるという慌ただしい日に、顔も名前も知らない後輩から呼び出され、指定された場所に行ったところ、何ヶ月間もマリウスに付きまとっていた一学年下の男子生徒が立っていた。  またお前か、と言いかけたところを、後ろから不意に何者かに押さえつけられ、後ろ手に魔術を封じる手枷を嵌められた。  後はご想像の通りだ。  アーデルベルト魔道学校は創立何百年という古い組織で、その建物も古くて広大、入り組んだ作りをしているから、人目につかない場所なんていくらでもある。  肩に担がれて運ばれる間の会話で、マリウスを押さえ込んだその屈強な男たちはその後輩(名前が覚えられない)の悪友だということがわかった。素行のよくなさそうな生徒だと思ってはいたが、こんなごろつき風情とつるんでいるようなやつだとは思っていなかった。つくづく、自分の甘さに舌打ちしたくなる。  魔術無効の手枷を嵌められている限り、マリウスはただのひょろっとした青年に過ぎない。身体を鍛えることには興味はないし、汗を流して身体を動かすことよりも、新しい魔術を考えている方がよほど楽しかった。だから、魔術を封じられてしまえば、マリウスに戦う術は残っていなかった。  ——今日は最悪の日だ…  朝から寝坊して寮を飛び出したら大雨に降られ、やっとの思いで教室に着いたらたまたま今日に限って担任が体調を崩しており、代打が恐怖の鬼教頭だった。当然大目玉をくらい、課題の量が倍になった。  当代きっての天才と噂されるマリウスだったが、本人は全く意にかけておらず、いつもこんな調子だった。周りが必死で訓練してもなかなか物にできない難解な魔術を簡単に習得してしまう上、勝手に応用して新しい術を生み出してしまう始末だったから、ともすれば敬遠されそうなものだったが、本人の飾らなさが人気を呼び、いつもマリウスの周りは人で溢れていた。  そんなマリウスに憧れる生徒も後を立たず、男女を問わずいつも誰かからの手紙やらプレゼントやらが教室、寮のポストにひっきりなしに届き、挙げ句の果てには寮の部屋へ直接想いを訴えにくるものも現れるほどだった。  そんな熱い視線を受けている当のマリウスは、そうしたことに興味がないわけではなかったが、どちらかと言えば面倒くさいという思いの方が強く、いつもへらりと笑ってかわしていた。大体の生徒は、想いを告げることができた時点で満足するのか、マリウスがへらっと笑って「ありがとう」といえばそれ以上食い下がることはしなかった。だが、その中で一人だけ、いつまでもマリウスの返事を執拗に迫る男子生徒がいた。さすがのマリウスも困っており、誰に相談しようかと考え始めていた矢先に、今日のこの出来事が起こってしまったのだ。  どこかの部屋に入る音がし、いきなり床に転がされた。石造の床は硬くて冷たく、両手を後ろ手に括られているため受け身を取ることができなかったマリウスは、強かに腰をぶつけて顔を顰めた。目隠しをされているからどこに連れてこられたのかわからないが、その埃臭さから、普段使われていない棟の一室だろうと見当がついた。  襟首を掴まれて上体を起こされ、目隠しを外された。  男子生徒が目の前にしゃがんでいる。 「ご気分はいかがですか? マリリン先輩。ああ、僕にこう呼ばれるのは嫌なんでしたっけ」 「いや、そんな、ことは」 「じゃあこのままでいいですね、マリリン先輩。僕の名前は覚えてくれました?」 「う……」 「相変わらずな人だ。シグルドですよ。名前も覚えられないほど、僕に興味がないんですね。でも、今日から嫌でも僕の名前を呼ぶようにしてあげます」  早口でそう言うと、シグルドと名乗ったその男子生徒は、マリウスに顔を近づけた。一生懸命顔を背けて逃げようとしても、シグルドに両手で顔を固定されてしまっては、抵抗することもかなわなかった。カサつく唇の感触と同時に、何かがぬるっと口の中へ押し込まれた。驚いた拍子に、思わずそれを飲み込んでしまった。  マリウスがそれを飲み込んだことを確認すると、シグルドは爬虫類のような顔をいっそう歪めてニヤつきながら、言い放った。 「マリリン先輩。今飲み込んだものが何か、お分かりですか?」 「……いや」 「媚薬ですよ、び・や・く。我が家に代々伝わる、秘薬でしてね。もちろん表には出せませんが、これが偉い方々に大層人気で、おかげでうちは長らく安泰というわけです。」 「てめえ……」 「ふふふ、お口が悪いですよ、マリリン先輩。まあ、そのうち、そのお口も、可愛らしい声をたくさん聞かせてくれるようになるでしょうが……ああ、抵抗しても無駄ですよ。ちゃあんとこの様子は記録に残して、いつでもネットに流せるようにしておきますからね」  シグルドの言っていることは、ハッタリではなかった。後ろに控えている男たちが小型の撮影機器を構えているのが見えたし、マリウス自身は、腹の奥が次第に熱く疼き始めているのを感じていた。  ——俺の人生も、ここで終わりか…  シグルドの思い自体は、理解できないものではなかった。マリウス自身、低学年の頃は、憧れの先輩というものがおり、告白まがいのことをしたことだってある。もちろん笑顔でかわされてしまったそれは、自分の中で今でもキラキラと光る大切な思い出だった。  だが、この男の行為は全く理解できない。今から自分を汚して、それで手に入れたつもりになるのだろうか。 「……マリリン先輩。この後に及んで考え事とは、余裕ですね……そろそろ、身体が辛いんじゃないですか?」  やや苛立ちをにじませた声音で言いながら、シグルドは無遠慮にマリウスの体を撫でまわし始めた。 「、やめ、ろッ……」 「ふふ、感じてるんじゃありませんか? 身体がビクビク震えてますよ」  シグルドの言う通りだった。心では気持ち悪く、悪寒すら走るのに、身体はその気持ちとは裏腹に熱くなり、シグルドの与える刺激に感じてしまっていた。 「ほら、ここも……」 「うッ、!」  しっかりと兆していた前中心を握られ、思わず声が漏れた。制服のシャツをはだけられ、肌着の上から乳首を弄くり回されて、息が上がる。 「ほら、そうやって唇を噛んでいたら、痕になってしまいますよ。もっと、可愛い声を聞かせてください」 「お、ッ前の、言うとおり、になんか、……ッぁ、!」 「ふふ、そうやって口では言いながら、身体はしっかり反応してますよ。そういう素直じゃないところも、可愛いです、マリリン先輩」  ——気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い……!  全身が鳥肌で埋まりそうだ。  やがて乳首をいじるのに飽きたのか、シグルドがかちゃかちゃとベルトを外し始めた。  ——いよいよか…  こういう時、何ていうんだったっけ、犬に噛まれたと思え、だったっけな。マリウスは観念して目を閉じ、じっとしてされるがままになっていた。下着のウエストにシグルドの手がかかり、今にも脱がされんばかりになっていた、その時だった。 「ッ…!」  いきなり、シグルドが雷に打たれたように痙攣し、泡を吹いて後ろ向きに倒れた。後ろに控えていた男たちも、同様に意識を失っていた。  何が起きたのかわからずマリウスが固まっていると、術式で開かなくなっていたはずの部屋の扉が勢いよく開き、バラバラと人が入ってきた。よく見れば、現生徒会長のユリアン・ランゲと、生徒会の生徒たちだ。 「マリウス先輩! うわッ、これはひどい……」 「……よう、ランゲ弟」 「だからその呼び方はやめてくださいって、何度言えば……はい! これで自由がききますね。とりあえず、服着てください、服!」  ユリアンはテキパキとマリウスの手枷を外すと、他の生徒たちに小声で指示を出した。他の生徒たちはそれに頷くと、魔術無効の手枷を気を失っているシグルドと連れの男たちにかけ、シグルドと男たちを台車に重ねて寝かせると、がらがらとどこかへ運んでいった。 「しかし、どうしてお前が、ここを」 「目撃者がいたんですよ。すぐに俺に連絡をくれたのがよかった。奴らが向かっていった方向から、大体の場所は見当がつきました。だけど、どの部屋なのかを突き止めるまでに、手間取ってしまって…シグルドは即刻退学処分になるでしょうし、奴らがご丁寧に録画しておいてくれたおかげで、裏稼業の証拠もバッチリ残っていますから、じき家も取り潰しにあうでしょう。当然です。あなたをこんな目に合わせたのだから……もっと早く正確な場所を突き止めていれば、こんなことをされずに済んだのに……ごめんなさい」 「お前が謝るこたねえだろ。未遂っちゃ未遂だしな。気持ち悪かったけど」 「…その、身体は、大丈夫ですか?」 「ユーリ、お前、二人の時その喋り方やめろよ、なんか気持ち悪い。…実はまだ、ちょっとゾワゾワしてる」 「だと思った。でも、ここじゃなんだな……俺の家まで、我慢できる?」 「あ、ああ」  マリウスはギクシャクとしながらも身体を起こし、ユリアンの後をついて校舎を後にした。
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