見てないし、わからないし、覚えてない

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「はい。意地悪はいけませんよ」  学生の背後から、その光るものを取り上げた。孝史郎の存在に気づいてすらいなかったらしく、学生は目を丸くしている。  それ以上に、なつめが驚いていた。否、驚いたというより、焦っているように見えた。 「女の子を口説きたいなら、スマートにいきましょう。今のあなたはとっても格好悪いですよ。それじゃあ、口説けるものも口説けないと思いませんか」  男子学生は居心地が悪くなったようで、謝罪もそこそこに退散してしまった。その程度の気構えなら、最初から彼女に手を出さないでほしいものだ。  さて、取り戻した指輪を返そうとして、差し出した時である。古くて、錆び付いていて、お世辞にもきれいとは言いがたいその銀色の指輪を見て、記憶が刺激された。どこかで見たことがある。  孝史郎の表情の変化に気づいたなつめが、血相を変えた。孝史郎の手から指輪を奪う。  そのなつめの顔といったら。耳まで真っ赤にして目を潤ませてうつむいている。そんな顔を、簡単に見せないでほしい。こんな往来で、道行く人が誰でもあなたを目にすることができるこんな場所で。そう考えると同時に、思い出した。 「それ」 「見た?」 「えっ」  大間抜けにも、何を、と聞き返しそうになった。当然、指輪の話だ。 「見てないでしょ?」  それは最早本当の答えを求める言い方ではなかった。 「見てないし、わからないし、覚えてないって言って」
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