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列侯には都郷侯、郷侯、都亭侯、亭侯の四つの分類がある。
県城には県の行政を一手に担う行政区と、商業区兼居住区があり、それぞれ城壁の中に同じようにして存在している。行政区の周辺は他の地方から派遣された官吏たちの宿舎となっている。
しかし、県城の中にその県の住人すべてが住んでいるわけではなかった。
里と呼ばれる村が点在しており、その里をいくつか集めたものを郷と呼んでいた。
劉備の住んでいた楼桑村はここでいう里のことである。
十か所の里を一つにまとめて管理しやすくしたものが郷。
郷には離郷と都郷の二通りがあり、県城内に置かれる郷のことを都郷、城外にある郷を離郷と呼んでいた。離郷の行政区が置かれる里は他の里より栄えるが、それでも県城ほどの規模で発展はしない。
郷侯は離郷を領地として保有し、その離郷に住む人間の租税を収入源とすることができた。
都郷侯は都郷に住む人間の租税を得ることができる。
都郷侯は県城内の住民の税金を、郷侯は県城外の住民の税金を納める。収入でいえば郷侯の方が圧倒的に多い。
そういう差があった。
ちなみに、亭とは城の内外にある宿屋のことである。
県城内にある宿屋は都亭、城外にある宿屋はただの亭と呼ばれ、その宿屋にかかる租税を収入とすることができるのが都亭侯、亭侯だ。
今回でいえば、皇甫嵩は槐里県の県城内に領地を与えられたのだ。
その領地に住む人間は皇甫嵩に税を納めることとなる。
皇甫嵩自身はその領地に住まなくてもいい。太守に収められた税は洛陽に送られ、規定額が毎月皇甫嵩に渡される。
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