第1章 足の速さに自信ある?

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そして彼の直属の部下……の中でも一番の若手で期待の星なのが俺。雑用一般をこなすアシスタントディレクター、いわゆるADだ。例の「足は速いか?」に「はい」と答えて採用されて、3ヶ月になる。 実際のところは、体育会系でもなければ何か記録をもっているわけでもない。ただ、性格上、というか性癖上、修羅場からの逃げ足だけは速い自信があったので、そう答えた。 スタジオを出るなり、スイッチを入れた。神田Dが見ているわけでもないのに、全速力で走り出す。エレベーターホールを通り過ぎ、階段室のドアを開けた。スタジオのある2階から楽屋のある5階まで、一気に駆け上がる。演者が行き来するスタジオ楽屋間はまだこの程度だが、デスクワーク部屋である制作部からスタジオまでは、階段の「乗り接ぎ」がある。 局内はまるで迷路のような構造になっていて、入社当時は走っても走っても目的地にたどり着けなくて途方に暮れる日々だった。不審者対策に複雑なつくりになっているのが、テレビ局のデフォルトなんだそうだ。クリアしなれた迷路を、全速力で駆け抜ける。こんなことを日に何回も繰り返している。 「お、みっちー、今日も走ってんじゃん」 「走るの、キライじゃないんで!」 「ちょこまかしてて可愛いな」 「もう~柴崎(しばざき)さん、小動物扱いはやめてくださいよう」 162センチという成人男子にしては低い身長に、ツーブロに整えた茶髪。忙しい中でもファッションには手を抜かない、がモットーだ。黒のレギパンに、走りやすさ重視のハイカットスニーカー。ビッグシルエットのトレーナーの袖は、作業しやすいように常に捲ってある。見た目こんな感じだから、やっちゃうと小動物っぽさが増すと分かっていながら、頬をふくらませてみせる。途端、気のいい中堅お笑いコンビ『ロンダートルネード』の二人は、そろって破顔した。
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