16.【番外編】Melancholy Morning

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16.【番外編】Melancholy Morning

部屋はまだ薄暗い。 しかし、遮光カーテンの隙間から洩れ入る光が、すでに太陽が昇って久しいことを告げている。 見慣れないカーテンの模様。 自分の部屋の量販店のとは違う、高級感のあるテキスタイル。 ここはどこかと加持は一瞬考えを巡らせ、隣に眠る人影を確認する。 起こさないように、そっと身を起こしたのに、それでも相手の男は小さく身じろぎをして目を覚ましてしまった。 「あ、すみません、あの、おはようございます。」 「ああ…おはよう……」 相手は目をしばたいて自分を凝視した後、くるりと背を向けてしまった。 「今、何時だろうか?」 「8時半過ぎてます。」 サイドボードに置かれた小さな目覚まし時計に目をやり、加持は答えた。 「ああ、しまった、ゴミの日……」 男が小さくつぶやく。 「間に合うなら俺、捨ててきますか?」 「あ、いや、いいよ。すまない、眼鏡取ってもらえる?」 名残惜しく思いながら加持は眼鏡を渡した。 眼鏡のない素顔は意外なほど澄んだ瞳をしており、視力が弱いせいかじっと自分を見つめてくる。 「カーテン、開けてくれるかな。」 「あ、はい。」 言われるままにベッドから降りてカーテンを開けると、村山は眩しそうに瞬きをした。 明るい日の元で改めて村山の姿を目にし、加持はドキッとした。 普段きれいに梳かしつけられた髪は乱れ、シャツやネクタイに隠れているはずの首筋や胸元には赤い痣が散っている。 疲れたような気だるげな雰囲気で色香をまとっている。 加持は再びベッドに乗り上げ、半身を起こした村山の肩に手をかけ、唇を寄せた。 昨夜散々解放した欲望は、ボクサーブリーフの中で勃ち始めている。 村山は顔を背け、両手で加持の上体を押し返してきた。 照れているのか、それとも… 「なんで拒むんですか?」 村山は小さくため息を吐いた。 「お手柔らかにって、僕、昨夜言ったよね?」 「あ…すみません、つい。」 『ちょっと待って、もう無理…』 『待って、もう少しゆっくり、ちょっと、止まって』 『頼むから休ませて、もう』 何度も涙ながらに懇願されたのに、夢中になって自分を止められなかったことを思い出す。 だけど、村山だって感じていた。何度も達していた。果てて倒れこむ加持の頭を優しく撫でてくれたのに。 「だから僕みたいな中年はやめといたほうが良いと思うよ。」 「やめたいんですか?」 「無理があるような気がしない?親子ほども離れているんだよ。」 「親子なんて大袈裟ですよ。」 「君、いくつ?」 「23です。」 「僕はもうすぐ41になる。18歳も違うんだよ。僕が18歳の時、君は生まれたばかりだったわけだ。」 「そんなの関係ない。」 本当は嫌というほど解っている。 18年という歳月を加持は考える。 この差が縮まることは永遠にない。 どれほど背伸びをしようとも、自分が村山に追いつく日は来ない。 村山からすれば、自分は永遠に子供なのだ。 一人前の男としてどうやったら見てもらえるのだろう。 昨夜、一糸纏わぬ姿で求め合い、一瞬その隔たりを超えられたと思った。 自分に体を押し開かれ、快楽に喘ぐ村山は可愛かった。 それなのに朝になったら、魔法が消えるように、現実に引き戻される。。 「関係なくないでしょう。」 諭すように話しかける村山の口調は、指導者としては優しいが恋人としてはよそよそしい。 「……そうですね、あんたが18歳のころ、どんな風だったか興味はあります。どんな本を読んで、どんな音楽を聴いて、どんなことを考えている若者だったのか。どんな青春を過ごして、どんな恋をしたのか知りたい。」 村山にだって昔は青臭い時代があったはずだ。 そのことを忘れて大人顔なんてしてほしくない。 加持は村山を押し倒した。 「ちょっと、話をちゃんと最後まで聞きなさい。だいたい、もう僕は無理だよ、昨日だって相当無理した。僕の歳を考えてって話をしているのに。」 村山は身をよじって加持の身体から身をはがす。 加持は目覚めた時の幸福感が萎んでいくのを感じた。 「別に…合意じゃないのに無理矢理やろうとか、思ってません。昨夜はちょっとブレーキ効かなくなっちゃって、悪かったとは思ってますけど。」 村山の拒絶にいたたまれない気分になり、加持は村山に背を向ける形でベッドに座った。 「俺があんたと初めて出逢ったのも18歳ですよ。あんたは覚えてないかもしれないけど、オリエンテーションで俺の質問に答えてくれた。それからあの店で働き始めて、あんたが店に来て。いろいろ話すうちにあんたに恋をした。」 教授と学生が、ゲイバーでは客と従業員。 村山に呼び出された時は、口留めのためだと思った。そうじゃなければ、関係を強いられるのか。 だが、村山の口から出たのは、家計と学業の心配だけだった。 「君が僕の年になったときのことを考えてごらん。」 「41歳か……想像もつかないな。」 ちゃんと真っ当な職についていれば良いのだが。奨学金は返し終えているんだろうか。 「僕は59歳だよ。ほとんど定年だ。」 加持は振り向いて村山の顔を見た。少し寂しそうな横顔。講義や実験で見せる、控えめだが揺らぎない自信を持つ姿ではない。 「渋くてかっこよくなってると思います。あんた禿げるタイプじゃなさそうだし。別にハゲでも俺は構わないけど。」 「更年期で性欲だってないかもしれない。君を満足させられないだろうな。今だって無理なのに。」 「昨夜のことは悪かったと思ってます。あんたが初めて受け入れてくれたのがうれしくてつい。俺の性欲に無理して合わせることないですよ。俺だっていつも盛ってるわけじゃないです。そのころには落ち着いてますよ。」 村山は首を振る。 「僕みたいな中年に固執しないで、もっといろんな人とたくさん恋愛をしなさい。君は若いんだから。人生は長いんだし。」 「恋愛なんてたくさんすりゃいいってもんじゃないと思います。」 「したほうが良いだろう、人間には必要なことだよ。」 「じゃあ、先生はアセクシャルを否定するんですか?」 「いや、そういうつもりはないよ。うーん、君にはたくさんの愛情を知ってほしい。相手の幸せを願うような愛し方を見つけなさい。僕にはそれができない。」 「なんで決めつけるんですか。俺は昨日あんたと愛し合って幸せだったのに。俺といると幸せな気分にはなれないですか?」 遊ばれているとは思いたくない。村山が人を弄ぶ人間とは思えない。 「俺の愛情は重荷ですか?」 「そうじゃない。でもいつか僕の愛情が君の重荷になる。」 「なんで決めつけるんですか?」 「言っただろう、ぼくは18歳も年上だ。」 「年齢は関係ないって俺もさっき言いましたけど。」 村山は小さく首を振る。 「あんた、こういうことには自信がないんですね。人を幸せにできないって自分で思ってる。……もしかして、幸せな愛情を受けてこなかった?」 「……そうかもね。」 村山はちょっと考えるような表情で天井を見上げた。 「僕の父親は、医学を目指す息子を愛していた。でも、僕は違う気がして、期待通りに医者の道進むことができなかった。父の期待に沿えなかった僕を、母も兄弟も失望してたね。今も連絡は取ってない。会うのは死に目の時かなぁ。」 村山の感情をそぎ落としたような表情が、却って寂しさを物語っているいような気がした。 「もう一度、最初の問題に立ち返っていいですか?あんたは俺との関係、やめたいんですか?だったら、はっきりそう言ってください。」 加持は村山の両肩に手をかけ、目を覗き込んだ。 村山が目をそらす。 「ずるいですよ。俺にやめようって言わせようとするなんて。」 村山は諦めたように笑った。 「人間は歳を取った分だけずるくなるものなんだよ。」 「昨夜のこと、なかったことにしたいんですか?」 村山の皮膚に刻んだ情事の痕跡を、そっと指でなぞりながら尋ねる。 「……なかったことになんて……できるわけが、ない。」 村山は観念したように、言葉を絞り出す。 「あんなに求められて愛されたことを、忘れることなんてできないよ。だけど、一度手に入れたら失うのが怖くて、どうすればいいかわからない。いい歳して、なんて無様なんだろうね。」 加持は村山を抱きしめた。 「あんたはなんでそんなにバカなんだよ?先のことなんて考えてどうするんだよ。俺だって明日どうなるかなんてわからない。 だけど今、どうしても手に入れたいものがあるのなら、失った時のことなんて考えてどうするんだよ?」 村山の瞳が揺れる。 「明日気持ちが変わってもいい、だけど、どうして今を見れない人間が未来を考えられるんだよ?」 「僕は弱くていつも逃げてきた。子どものままだったんだな。18歳の僕は自信がなくて屈折していた。」 加持は村山に口づけた。 「もう昔のことはいいよ。目の前の俺を見て。」 何も考えられなくしてやりたい。 舌を侵入させて口腔を犯し、息を吸い上げる。 歯列をなぞり、舌を絡めあい、唾液を啜る。 唇を離すと、村山は顔を赤らめ小さく首を振った。 「ごめん、でもさすがにエッチなことする体力はないよ。」 加持は思わず苦笑した。 「大丈夫です、しませんって。俺はあんたの幸せを願ってます。それが、俺と一緒ならうれしいけど、相手が俺じゃなくてもあんたが誰かに愛されて幸せだって思えるならそれでもいい気がする。 あんたは昨日、寂しいって言ってましたよね。俺の愛情はあんたを満たすことができてないかもしれない、でも少なくとも今は一人じゃない。抱きしめて、そのことを伝えたいだけです。」 「君は子どもなんだか大人なんだか……」 村山の腕が背中に回され、自分を抱擁するの感じた。
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