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6.Distance ②
新年早々、松木は自分の身の回りが慌しく動き始めるのを感じた。
年末からそれとなく囁かれていたことだが、年を受けて改めて転勤を打診されたのだ。
自分のこれまでの仕事ぶりが評価されての抜擢なので、松木は大いに名誉に感じた。
様々な勤務地で経験を積むことは、かねてから望んでいたことだし、大阪なら飛行機であっという間だ。
問題はただ一つ。
付き合っている恋人のことだ。
恋人、と果たして相手が認めてくれているかも分からない。
だが、転勤話を切り出せば飯島が離れていくのは予想できた。
飯島は自分自身に引け目を感じているような節がある。
仕事ではそれなりに一目置かれ、人一倍自信とプライドを持っているのは、働く姿を見れば分かる。
にもかかわらず、飯島は人間関係においてどこか自分を否定している部分がある。
尖がった言動は、そんな自分を隠すための強がりにも見える。
付き合ってきた相手も、いつも後腐れなく別れられるような人間を選んできたようなことを、以前松木に話したことがあった。
悪あがきする前に逃げ出すタイプなのだ。
「飯島さん、遠距離恋愛ってどう思います?」
とりあえず遠巻きに探りを入れることにした松木に、飯島は即答した。
「無理。」
「そうですよね…。」
予想はしていたものの、松木はいささか消沈する。
確かに、誰かを黙って待ち続ける飯島など、想像できない。
松木は飯島を、薄情な男だとも浮気性だとも思ってはいない。
だが、孤独に弱いことは分かっていた。
きちんと向き合わってつなぎとめておかないと、ネガティブな思考で勝手に自己完結し、殻に閉じこもってしまう困った人間、それが飯島だ。
人付き合いが苦手で集団行動が苦手なくせに、妙なところで寂しがりやなのだ。
やたらセックスを求める割には、実際にはさほど精力が強いわけでも好色なわけでもない。
心の隙間を埋める人間がいつでもそばにいてやらないと駄目なのかもしれない。
気の強そうな切れ長の瞳に、長い睫。
神経質そうな尖った顎を隠すように生やした、うっすらとしたひげ。
鼻筋の通った横顔。
アンバランスで危うい印象を与える外見は、同じ男から見ても不思議な魅力がある。
飯島が相手に不自由することはないだろう。
自分が手を離し、笑顔で見送ってやるのが飯島にとって一番よいことなのかもしれない。
そう思うと松木は無性に哀しくなった。
こうやって飯島を抱くのも、これが最後かもしれない。
松木はいつになく激しく飯島を求めた。
「ちょ…どうしたんだよ、昨夜と全然ちがう…」
「一晩寝て回復しましたからね。ここ、気持ちいい?」
前立腺を抉るように腰をグラインドさせる。
「んっ、ぁああ、あっ、すごい…もう…」
「まだまだ。ほら、飯島さんのここ、すごいことなってる。感じてるんだ。」
だらだらと先走りがこぼれだす鈴口を指先で苛み、敏感な亀頭を擦り上げる。
「んぅっ、あっ……お前、いつからそんなスケベになったんだっ…」
「だって飯島さん、スケベなことされるの好きでしょ、ほら。」
角度を変えては突き上げ、体位を変えては結合を深める。
何度も絶頂を迎え、放心した飯島の身体を愛撫すれば、愛おし気な眼差しで松木に身を委ねる。
少なくとも今はまだ——今だけは、この人は自分のものだ。
首や肩に唇を落とし、滑らかな肌を啄んで自分の痕跡を刻み付ける。
女の子の柔らかな肌とは違う、張りのある筋肉質な肌。
唇を上下する胸から脇腹、鼠径部へと這わせ、内腿にそっと歯型を押し当てる。
「っ、あ…ぁあっ」
刺激にわずかな反応を示しかけた飯島のペニスを口に含み、再び欲望を呼び覚ます。
飯島の体がシーツの上で小さく跳ねた。
泣きそうな瞳と目が合う。
松木は唾液をたっぷりと絡めながら飯島の欲望を根元まで飲み込んで吸い上げると、見せつけるように唇を離した。
「飯島さん、まだいけるよね?」
追い上げられた飯島が断れないのを分かっていて問いかける。
膝を抱え上げ、何度も松木を受け入れ柔らかくなった飯島のそこを、指先でくすぐるように撫でた。
「ああ、ゴムもう使い切っちゃったね。ね、飯島さん、生でしていい?後できれいに洗ってあげるから。」
いきり立つ欲望にローションを絡め、飯島の肉をかき分ける。
「あっ、馬鹿、ダメだって…」
「飯島さん、そんな締め付けないで…生、すげー気持ちいい…。やばい、すぐいきそう。」
両手で顔を覆い、小さくうわ言のように「ダメ、ダメだって」と繰り返しながら飯島は体を震わせている。
その可愛らしい仕草と、激しく収縮する中の熱さのギャップに、松木の理性は焼き切れる。
「あ、いく…」
松木は堪えきれず、飯島の体をぎゅっと抱きしめると、中で精を放った。
荒い息を整えながら、顔を覆う飯島の手を取ると、赤く顔を上気させた飯島が涙をたたえた瞳で見上げていた。
半開きの口から言葉にならない喘ぎ声がか細く漏れる。
果てたはずの欲望が忽ち勢いを取り戻す。
松木はいったんペニスを最奥までぐっと押し込むと、ゆっくりと腰を引いた。
「あっ、あ、あ…」
飯島の中が縋りつくように松木の欲望に絡みつく。
松木は自ら放った精液を潤滑油に抽出を繰り返した。
荒い吐息をかき消すように、水音と肌のぶつかる音が響く。
出し挿れを繰り返すたびに、泡立った残滓が掻き出され、シーツを汚した。
部屋中に雄の匂いが立ち込めている。
「馬鹿、一回抜けよ、もう無理、もう…ちょっと休ませろって…」
目覚めてから日が暮れるまで、セックスしては休み、身体を繋ぐ合間に何度か飢えと渇きを満たしながら、文字通り飯島の精が尽き果てるまで絡み合った。
松木は仕事も上の空で、飯島のことを考えていた。
自分の求めに何度も応じてくれた飯島は、やはり自分のことが好きなのではないか。
駄目元で遠距離恋愛をもう一度切り出してみるべきではなかろうか。
その一方で激しいセックスと飯島の反応を思い出しては股間を熱くし、あのセックスは一生忘れることができないだろう、と物思いに耽ったりもしていた。
飯島は他の男と付き合っても、自分との一夜を忘れないでいてくれるだろうか。
松木は男と付き合ったのは飯島が初めてだった。
だが飯島はきっと、一夜限りの相手も含めればそれなりに相手がいたはずだ。
過去の男たちを、飯島は今どう思っているのだろう。
飯島は不器用だ、同時に複数の人間と関係を持てるタイプではない。
自分との情事の際に、ほかの男に思いを馳せるような様子は一度たりともなかった。
やはり新しい恋人ができれば、自分も忘れられてしまうのだろうか。
そもそも自分は飯島の恋人なのかという疑問がよぎる。
よくよく考えれば飯島に『愛してる』なんて言われたことなどない。
最初にセックスを誘ってきたのは飯島だった。
『本気になりそう』とは言われても、『本気で好きだ』とは言われていない。
肉体で一線を越えても、精神的には常に一線を引かれてきたのだ。
飯島は自分をどう思っているのだろう。
心は千々に乱れるばかりだ。
「よお、松木、この前部長に呼ばれたんだってな。」
突如現実に引き戻され、松木は我に返った。
「馬場さん…誰がそんなこと言ったんです?」
「みんな言ってるよ、み・ん・な!!特に女子社員なんて、『王子がいなくなっちゃう』って大騒ぎさ。」
馬場はてかてかと油の浮いた顔で唾を飛ばしながら顔を近づけてきた。
「へえ、じゃ海外事業部のカルロスさんからもそう聞いたんですが。」
「やな奴だな、お前。」
それはお互い様でしょう、と喉まで出かかった言葉を松木は飲み込んだ。
毒舌な飯島ならそう言っているところだろう。
「お前、吉川さんの後釜らしいな。」
「そうなんですか?」
「で、吉川さんは博多支社でノイローゼになって降格した課長の代理らしいぞ。」
「馬場さん、詳しいですね。」
「色んな情報網を手中に収めているんだよ、俺は。」
その大半はガセネタで、えげつない噂が大好きな性格からパパラッチならぬ『馬場ラッチ』という渾名を付けられていることも、その情報網で知っているのだろうか、と松木は訝る。
いずれにせよ、自分と飯島の関係などは、この男の格好のネタだ。
「お前はとんとん拍子でいいよなあ。うまくやったもんだぜ。本当なら飯島さんに来るはずの話、お前が掻っ攫ったようなもんだぜ。あっちからすりゃとんびに油揚げ…」
まさにその飯島の名前が出されてドキッとしたが、次の瞬間に松木は耳を疑った。
「え?今の話…」
「飯島さん、ここ長いじゃん。業績からも年齢からも、本来ならあの人に来るはずの昇進だろ。」
その話が本当なら、飯島と遠距離恋愛どころか、別れた後の美しい思い出にすら自分はなれないではないか。
昇進に浮かれたり、色惚けしている場合ではない。
意図したことではないにせよ、飯島に対して取り返しのつかないことをしてしまったことになる。
松木は冷や水を浴びせられたような気分のままただ立ち尽くすしかなかった。
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