馬鹿野郎は誰だ

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馬鹿野郎は誰だ

13時からの定例ミーティングで俺は、フリーズする。理由はない。強いて言えばこれは、退屈な毎日へのデモだ。 某感染症の流行により、弊社も在宅勤務になって久しい。満員電車や服選びからの解放は嬉しいが、毎日家に引きこもって仕事するだけの生活は刺激がない。だから俺はこのクソみたいな日々を変える、静電気みたいな小さく強烈なものを欲していた。 そんな矢先に、俺の所属するチームのチャットに上司の粟島からのメッセージ。 「本日から定例ミーティングでは、進捗報告の後に1つのテーマを議論します。今週のテーマは『在宅勤務時のコミュニケーション不足解消の手立て』です。よろしくお願いします。」 なぜ上司というのはいらぬ提案ばかりするのか。自粛のし過ぎでいよいよ頭がイカれたのか?そんなに議論がしたいなら小学校にでも乗り込んで学級討論に混ぜてもらえ。そんで通報されておくれやす。 そもそも、チーム内でそんな事を話し合ったところで会社がどうなるわけでもない。仕事をさせてくれ。しかし俺は、こんなに悪態を垂れているくせに外面だけは良いから、このままいけばきちんとこの議論に参加することになるだろう。くだらないと心底感じるものに真剣な雰囲気を出すのは面倒だ。どうにかして逃げられないものか。 昼休み、俺は茹だりすぎたパスタをモソモソ食いながら画期的な考えを閃いた。 そうだ、フリーズしよう。 ミーティングはWeb会議で行われる。となれば、フリーズしてしまえば「本当は議論に参加したいのにやむを得ず」参加出来ない様を表現できるのではないか。ZOOMやビデオ通話でフリーズしたらどう見えるかはなんとなく分かる。あれを再現すればいいんだ。簡単なことだ。 12時58分。定例ミーティングのIDを打ち込む。すぐに画面が切り替わり、見慣れたチームメンバーが顔を揃えた。いつもの流れで各々の進捗報告が始まる。俺はまず手始めに、メンバーが喋っている最中に凍ってみた。ふむ。聞き役の時に明らかにフリーズしてます、という感じを出すのは結構難しいな。黙って聞いてるのと見分けが付かない。さらに、20人以上参加しているからか画面が分割され一人ひとりが目立たない。 フリーズは自分のタイミングで起こることはない。だからどんなに美人でも変なところで止まって、見ちゃいけないような顔になってる時がある。俺はそれをやってみた。いったん下を向き、また画面の方向へ顔を戻す瞬間に片目を半目でフリーズ。おお、これはかなりいいぞ。フリーズ特有の顔っぽい。つかめてきた。 試行錯誤していると、自分の番が来た。ここで予行演習といこう。 「私は◎◎商事様の案件、打合せ進めておりましt」フリーズ。予定を眺めているように目を流し、口は「おりまして」の「て」に移る途中の半開きの形。とりあえず2秒。すぐに戻る。 誰も俺が停止したことに触れてこない。成功したのか?もう一度やってみるか。「来週頭の方でお見積りお送りする予定となっ」やや上を向いて小さい"つ"を言った直後の力みを下唇で表現。3秒カウントダウン。 するとおもむろに、同僚から「なんかさっきから止まってません?」と全体への問いかけがあった。粟島が「フリーズしてるみたいね」と答える。セルフでフリーズしているとはバレていない様子だ。 すかさず、「朝から電波悪くてぇ、多分マンション内みんな在宅なのかもですぅスマセン」と対応した。 その後、来週のタスクを報告する。「先程のお見積りと、後は△△プロジェクトのキックオf」フリーズ。なんとなく横を見て振りかぶるような体勢になってみた。そういえば、俺の彼女はよく輪郭がくっきりで横顔がかっこいいと褒めてくれる。あ~、会いたいなあ。おっぱい揉みたい。一度話題に出たからか、誰もフリーズしたことに触れない。どうやら上手くいったみたいだ。何事もなく次のメンバーの番に移る。 後は適当なタイミングで、しばしばフリーズ。喋らないとやはり目立たないな。進捗報告は順調に進み、最後のメンバーになった。最近このチームに入ってきた真田だ。 「っb…は…した…が…らiしゅっ…s」 …???ちょっと待て。こいつ、本当にフリーズしてる。それも俺のセルフフリーズが霞むくらいに重症のフリーズ度だ。画面が静止しているどころか画質が悪すぎて、少しカメラが復活するたびに真田がモザイクのようになり分裂している。他のメンバーは皆、おいおい大丈夫かと言わんばかりに様子をうかがう顔だ。粟島が「今日は電波悪いのかもねぇ」と独り言のようにつぶやいた。いや天気かよ。電波ってそういうものじゃないだろ。 "本物"のフリーズを見ているうちに笑いがこみ上げてきた。俺がセコく固まり電波の悪さを弁明していた間にもこいつは、本当に一人だけ時が止まっていたのだ。それも救いようのないレベルで。自分のやっていた大根芝居がこっ恥ずかしくなる。恥ずかしさが閾値を超えると笑えてくるらしい。必死で呼吸を整える。 とは言っても俺は、この後やってくるディスカッションに付き合う気はサラサラない。このセルフフリーズが少し楽しくなっているというのもある。"本物"の登場は予定外だが仕方がない。それにしても真田の家のWi-Fiとかはどうなってるんだ。あまりにもひどすぎるだろ。先程の真田の分裂を思い出し、またしてもツボに入った。 「じゃ、さっきもチャットで送ったのだけど、ディスカッションさせてくだ「嫌です」…の気持ちを込めて無言のフリーズ。もちろん誰からも触れられない。策としては、議論の序盤で発言するもフリーズで上手く伝わらないのをアピールしておくというのがベターだろう。フリーズ中の音声については"本物"こと真田を参考にさせてもらおう。 「仰る通r…かに僕m…っニケーショn…tttてて」 先ほどの真田を参考に、止まった分発言が進んでいるように見せつつ、それに合わせ自身もカクカクと動く。発言内容はなんとなく理解できる程度だったのか、メンバーが発言を繋げる。 横を向いた姿勢からPCの画面に顔を戻すとき、真田が目に入った。昼なのに泥色をした画面の中でまだガクガクやっていた。思わずハッと震えたような笑いが出た瞬間、真田の画面がパッと消えた。消えた!カメラをオフにしたのではない。真田の画面ごと消えた!退出したのか?俺の我慢は限界だった。すぐさま頬杖をつくように口元を隠した。やばいどうしよう、笑いが止まらない。ミュートにはして、るな。よしよし。ああ、危ない。 他のメンバーは真田はいないものとして認識しているのか、誰もこの事に触れない。と思ったら、またパッと真田が戻ってきた。帰還直後から、すでにドット絵みたいになっている。もう自身のフリーズとか議論の方向はどうでも良かった。見まいとしても目が勝手に真田を追っている。なぜみんな真田を見ない?彼はこんなにガタガタと懸命に参加しているのに。 結局議論は、チャットを活用して積極的にコミュニケーションをとっていくという結論が出たらしい。アホくさい事この上なしである。俺は一応最後まで度々フリーズしておいた。コーヒーを飲む途中でフリーズしてみた時は、陶器のコップが重くて腕を静止させるのがやや難しかったが、それも乗り越えた。そして真田は一貫してモザイクのままだった。 ミーティングから退出し、一人に戻る。なんか…普通に参加するよりも疲れたな。でもそれと同じくらい楽しかったな。それにしても真田、強く生きろよ。俺はお前を見守ってたよ。大きな深呼吸をして、仕事に戻ろうかと背筋を伸ばすと、ココンッとチャットの通知音が鳴った。同期の浜名からのDMだ。 「お前さっきのフリーズ嘘だろ笑」 バレてたのか。その後に、まあ粟島は気づいてないと思うよとメッセージが続いた。大きな仕事を終えたような達成感と共感を得られた安堵を胸に、俺は仕事を再開した。
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