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大学四年間を過ごしたこの街にやって来るのは、実に十年ぶりのことだった。
大学で同じサークルだった友人の結婚式に招待され、新幹線に四時間揺られて上京したのは一昨日、金曜日の夜のこと。昨日は挙式、披露宴、二次会に出席した後、結婚式で再会した友人達と共に、さらに終電近くまで大いに飲んで喋った。
そして今日、地元に帰る前に途中下車したのが、大学のキャンパスの一駅隣にあるこの街だった。久しぶりの、そして次はいつになるか分からない上京の機会に、行っておきたい店があったから。
生まれ育った地元の他に、私が住んだことのある町は、ここだけだ。第二の故郷とも言える町。久しぶりの「帰省」に、私の心は浮き立っていた。
ところが、電車を降りていきなり戸惑った。
かつては地上に、フェンスを隔てて商店街のすぐ隣にあったホームは、いまや高架の上にあり、隣町の高層ビル群をはっきりと望むことができる。
改札に至るには、さらにエスカレーターで昇らなければならなかった。ガラス張りの天井から明るい日差しが降り注ぐ中、改札機が橙色の切符を吸い込む。かつて階段を駆け降りた先にあった薄暗い地下の改札は、幻のように消え失せていた。
改札を出ても、左右どちらに行けばいいのか分からない。一抹の寂しさを覚えつつ案内板を眺めてから、東口へと足を向けた。
明るく小綺麗な通路にパンプスの音を響かせながら、なんだかこの町には似合わない駅だなと思う。沿線には都内有数のおしゃれな町がいくつも連なるけれど、この町はそういうのとは違うのだ。駅を挟んで東西に延びる商店街には、雰囲気の良いカフェもなければ、キラキラした雑貨屋もない。昭和……は言いすぎにしても、平成初期の匂いが抜けきらない、庶民的で垢抜けない町。けれどそれゆえに住みやすい町だった。少なくともそうだった。十年前は。
長い長い下りエスカレーターに運ばれながら、私の気持ちも下降する。駅だけでなく町も様変わりしているのではないか。そんな不安が膨らんでいく。
案の定、エスカレーターから降りても、自分がどこに立っているのかピンと来なかった。東口の位置が以前と変わってしまったのだろう。ぐるりと三百六十度見回してみてようやく、そこがかつて踏切のあった場所、懐かしい東通り商店街の入口だということを理解した。
手に持っていたボストンバッグを、ショルダーベルトで左肩に掛け直し、そろそろと商店街に足を踏み出した。
まず左側で出迎えてくれたのは、黄色の「M」が目印のハンバーガーショップ。百円のハンバーガーとドリンクで、二時間も三時間も友達とお喋りしたことを思い出す。
右にはこぢんまりとしたドラッグストア。日用品の品揃えは正直イマイチだったけれど、風邪薬や絆創膏から処方薬まで、薬を買うときはいつもここにお世話になった。
再び左に目を転じれば、スーパーの地下入口に通じる下り階段。大学からの帰りに、食材を買いによく立ち寄った。調味料コーナーで地元メーカーのソースを見つけたときは感動したものだ。
一歩進むごとに、思い出が蘇る。もしも私が誰かと一緒に歩いていたならば、懐かしい、懐かしいとひたすら連呼していたに違いない。
足取り軽く四つ角まで歩き、行き過ぎたことに気が付いた。あまりの懐かしさに浮かれて、お目当ての店を通り過ぎてしまったらしい。
すぐに踵を返し、来た道を戻る。今度はゆっくりと、視線を左側に固定して。
居酒屋、唐揚げ屋、本屋、コーヒーショップ、金物屋……。ドラッグストアの手前で再び反転した私は、反射的に駆け出していた。嫌な予感に耳の後ろがゾクリとする。
全国チェーンのコーヒーショップの前で立ち止まり、その看板を呆然と見上げる。間違いない。この場所だ。ボストンバッグのショルダーベルトが肩からずり落ちる。
目当ての店、「おしゃれの店ハル」は、跡形もなく姿を消していた。
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