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4.春から夏へ
「どうしたの? 渡辺君」
過去の記憶に囚われていた俺は先輩の言葉で我に返る。
「ああ、えーと、何でもありません」
そう答える俺の脳裡には、花霞の中老婆に追いかけらる三村奈津美の姿が浮かんでいた。
(彼女はあの老婆と二人、花霞の中を彷徨うのだろう。永遠に)
何か顔色悪いよ、と先輩が俺の顔を覗き込む。
「ああ、出張長引いちゃったんで少し疲れてるだけですよ」
「確かに長かったよね。春なんかとっくに終わっちゃったよ。もう夏だよ、夏!」
暗い話題を払拭するかのように先輩が明るい声を出す。すると不思議なことに脳裡に浮かぶ花霞が徐々に消えていった。
「ところでさ、渡辺君」
「あ、はい?」
「ええと……今度、ご飯でも行かない? ほら、出張の時の話とかも聞きたいし。まぁ、嫌じゃなければ、だけど」
先輩は頬を赤らめて俺を見る。
(この人になら話せるかもしれない)
そう思った俺はゆっくりと頷いた。
「ええ、ぜひ。俺もちょうど先輩に聞いてほしいことあるんですよ。少し驚かせちゃうかもしれませんけど」
「なあに、それ?」
「秘密です」
教えてよ、と先輩は俺の腕を軽く叩いて笑う。それはまるで真夏の向日葵を思わせるような眩しい笑顔だった。
了
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