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3.6月30日 渡辺拓也の秘密
トラブル続きで長引いていた出張がようやく終わり今日からはようやく通常勤務。結局ゴールデンウィークも作業で潰れてしまった。本当はすぐにでも代休を取りたいところだが今は繁忙期なのでそうもいかない。来月あたりに休みを取るかな、そんなことを考えつつ俺は会社へと向かう。改札口を出て駅前の喫茶店に目を遣ると店の扉に貼り紙がしてあった。
(あ……)
貼り紙には“当分の間休業いたします”と書かれている。俺はため息をついて会社へと向かった。
「渡辺くん! お久しぶり! 出張どうだった? トラブル満載で大変だったみたいね。あ、そうそう、伝えたいことあったんだけどさすがに会社のメールに送る内容じゃないし、渡辺君の個人連絡先知らないから連絡できなくてさ。こっちに戻ってくるの待ってたんだ」
会社に着くなり俺の教育係である羽島先輩が飛んできた。
「はい、出張は何とか。伝えたいことって何ですか?」
「うん、驚かないでね。駅前の喫茶店、休業してるの見た?」
頷く俺に羽島先輩は悲し気な表情を浮かべてこう続ける。
「あそこの娘さん、亡くなったの。今月の半ば頃にね。新聞にも載ってた。三村奈津美さん、二十三歳ですって。まだ若いのに可哀想にね」
俺は驚くでもなく先輩の話に耳を傾ける。あの貼り紙を見たときから何となく察しはついていた。
「事故か何かですか?」
「うん、自転車で堤防沿いを走っていて転落したって……」
堤防沿い。あの道をわざわざ通ったというのか。羽島先輩は話を続けた。
「うちの浅井課長、喫茶店のご夫婦と仲が良くて葬儀にも参列したんですって」
羽島先輩は課長から聞いたという話を俺にしてくれた。
『奈津美、ここしばらくあの道は避けてたの。私も、暗くて危ないからそうしなさいって言ってたのよ。なのにあの日だけ、どうして……』
そう言って母親は泣き崩れたそうだ。
――呼ばれたんだ。
あの老婆に呼ばれたんだ、俺はそう思った。
「それでね、遠くから見てた人がいたらしいんだけど、彼女すごいスピード出して走ってたんだって。まるで何かから逃げるように。別に誰かに追いかけられてたわけでもなかったみたいなんだけど」
――いや、追いかけられていたんだ。あの時の老婆に。
「それで堤防から転落して、しかも運の悪いことに首の骨を……」
――嗚呼、やっぱり。
俺は4月1日の朝、出勤前に喫茶店を覗いた時のことを思い出す。あの時何か言ってやるべきだったのだろうか。いや、そうしていたとしてもきっと……。
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