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「大丈夫か」
久しぶりに聞く、いつも通りの淡々とした遠石の声に我に返った。
今日の撮影が終わり、隅にあった小さなベンチで台本のおさらいをしていたところだった。
とは言っても、花与の頭の中は先ほどの月岡の演技でいっぱいだ。
「遠石さん、現場に来てくれるなんて珍しいですね」
遠石の顔を見てホッとする自分が悔しかった。
少しだけ認められたとは言え、まだまだ疎外感が漂う現場では心細さを払拭できない。
そもそも普段マネージャーに付き添われないアイドルなんて花与くらいだ。
「悪女ぶりはなかなかサマになってきたが、それ以外は大根だな」
相変わらずの歯に衣着せぬ物言いすら、温かく聞こえるのが悲しい。
「演技しなくていいって言ったのはそっちでしょ」
そう言ってすぐに口ごもった。こんな話、監督に聞かれでもしたら大変だ。
「ああ。演技をしなくていい。……だからお前、アイツに惚れろ」
「は?」
アイツって……
「月岡恵を落としてこい」
毎度ながら、遠石の突飛な発言に、眉間を歪ませるしかない花与だった。
「行くぞ」
遠石は花与を連れて、撮影の為に借りている大学構内の一角にある出演者控え室へ向かった。
嫌な予感しかしない花与。
「遠石さん……落とすって」
「言葉の通りだ。お前は実際に月岡に惚れて、月岡にも惚れてもらう。以上だ」
「はぁ!?そんなの無理に決まってるじゃないですか!」
若い女性、特にアイドルが大嫌いな彼だ。
そもそもそうでなくても、炎上アイドルに手を出そうという同業者なんているはずない。
何より。
「私は……」
花与は生まれてから今まで、一度も恋愛を経験したことがない。
淡い初恋を抱いたことすら、一度たりとも。
「今度という今度は無理です!」
そうハッキリと首を振る花与を、冷ややかな目で見下ろす遠石。
「お前に拒否権はない。行ってこい」
「えー!!」
月岡の控え室を勢いよくノックすると、遠石は花与を控え室へ放り込んだ。
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