マリアの未来日記

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              - 1 -               桐生マリア 「おい、倉沢。作業が終わったら、バックヤードまで来てくれないか」  本庄店長が、店内で商品棚を整理している僕を呼んだ。またCDの発注の打ち合わせかと思った。バックヤードに入ると、本庄店長は難しい表情で奥の方で丸椅子に座って商品の発注伝票を眺めていた。本庄店長は僕に気が付くと、机の上に伝票を放り逃げた。 「おう、倉沢」  僕は体格のいい本庄店長の隣に座った。 「本社の芹沢部長から、おまえに店長教育しといてくれって連絡が来たんだ」 「えっ、店長教育ですか?」 「おまえはどういうことだと思う?」 「まあ、どこかの店長になるってことですかね?」 「おまえを店長にするってことは、誰かが辞めるか新しい店舗を出すってことだ」 「それは、そうですよね」  1月10日。レコード店『ロックピア』東店でアルバイトを始めてから9か月ほど経った日にそんな話があった。店長は社員しかなれないから、この会社に正社員として就職するということになる。社員になれば責任は重くなるが、レコード店での仕事は嫌ではなく、様々な問題の対処方法も分かってきたので悪くないかもしれない。他になりたい職業もなかった。 「倉沢。おまえはオーケーだよな? まあ、おまえに選択権はないけどな。どっちにしても又とないチャンスだ。入って一年もたたないアルバイトが社員になるなんて、うちの会社じゃ奇跡だ」 「はい」  『ロックピア』は札幌市内に中央店、豊平店、東店の3店舗と少し離れた岩見沢市に1店舗あるレコード店チェーン。『ロックピア』中央店のテナントの奥に本社事務所がある。会社名は株式会社ロックピア。CDなどの音楽関連販売で、少数精鋭で着実に業績を伸ばしている会社。あくまでも少数精鋭というのがミソ。  世の中はバブル崩壊後の不景気にあえいでいたが、カラオケブームも手伝い、CDの売り上げは右肩上がりだった。僕は『ロックピア』東店の勤務だった。  1月15日。正式に社員への打診が来た。一応、大学を卒業していた僕だったが、休みがあまりなさそうな以外はきちんと大卒扱いの給料をくれるのは、このご時世としては悪くなかった。僕は「選ばれた感」を強く感じた。こういうのに、僕は弱い。社員になれば転勤もあるが、孤独な僕にはそれほど大きな問題ではなかった。  そして僕は正社員の契約書にサインした。  僕は2月1日から正社員になることになった。業績の向上により、本社は レコード店を増やす方向で動いていた。そして僕は2月15日に北区のスーパー内にオープンする『ロックピア』北店の店長となることが決まった。全て急な話だったが、新店舗を任せてもらえるのは嬉しかった。やはり僕は「選ばれたんだ」と思った。これを機に、僕は豊平区の実家から北区のアパートへ引っ越した。  社員昇格の2月1日と同時に、僕の北区の新しい店舗の設営準備が始まった。まずはスーパー内のテナントコーナーに、業者が運んできた什器を設置するところから始まった。什器がそろうと、扱う商品をイメージして棚のレイアウトを考えたりした。それから仕入れる商品を細かく考えた。店の設営と同時進行でアルバイトの募集をし、僕が面接していった。アルバイト情報誌に求人を載せて、郵送で応募してもらい書類選考後の面接。つい先日まで、ただのフリーターだった僕が、こんなことをしていることが不思議に思えた。応募は多く、すぐに二人は決まった。二人とも二十四歳のフリーター。吹田麻里子と津島弥生。麻里子は黒い髪をポニーテールにしているおとなしめな小柄な女性。書店でのバイトの経験がある。津島弥生は少し太めの女性。セミショートの茶色い髪の毛に少しパーマがかかっている。弥生は他のレコード店でのバイト経験があり心強い。  あと一人のバイトがなかなか決まらなかった。最悪、僕が通しで勤務して、 アルバイト二人で店を回すしかないと思った。  2月14日。三人目のアルバイトが決まらないままオープン前日を迎えた。麻里子と弥生と大忙しでオープンの準備をしていると一人の女性が店内を覗き込んでいるのに僕は気がついた。ライトブルーの上品なコートを着た艶のある黒い髪のストレートのセミロングヘアの女性。 「明日10時オープンですから」  僕が言うとその女性はにっこり笑って僕に小さく手を振った。 「すみません。ここでアルバイトを募集しているのを見てきました」 「あの、書類選考なんで、まずは履歴書を送ってもらえませんか」  僕は、オープン準備で忙しかったこともあり、少し切れ気味に言った。 「明日オープンなんですよね?」  笑顔で僕に話しかけてくる。 「あっ、そうだけど、決まりなんで」 「あなたが倉沢さん?」 「そうです。店長の倉沢です」 「良かった! やっぱりあなたが倉沢さんなのね! 名前はユウ?」  彼女はずっと笑顔。 「そう、優。なんで知ってるの?」 「私、ここで働きます。よろしくお願いします」  彼女は軽く会釈をした。 「ちょ、ちょっと待って」  僕は少し迷った後、彼女を準備中の店内に入れた。麻里子と弥生が商品の陳列をしながら、彼女をちらりと見た。 「どうぞこちらにおかけください」 「はい」  僕は彼女に店の奥の臨時のテーブルとイスを指した。彼女はコートを脱いだ。 「コートは空いている場所に適当に置いて下さい」  白いブラウスに白いスカート姿の彼女は上品で綺麗だった。ストレートの黒い髪が彼女を一層清楚に見せた。彼女は僕に履歴書を差し出した。僕が受け取ると彼女は椅子に座った。僕も向かいに座って履歴書に目を通した。彼女は笑顔のまま。 「桐生(きりゅう)マリアさん、21歳ね。高校を卒業してから、特に仕事をしたことはないのね?」 「家事手伝いです。でも私、外で働いてみたくて応募しました。私、家で音楽を聴くのが大好きで、特に邦楽が好きで、働くならレコード店がいいかなと思って」 「CDの販売なんだけど、週5回くらい、シフトを組んで出られる?」 「はい」 「明日からでも大丈夫?」 「はい」  外で仕事をしたことのない彼女が果たしてここで務まるのかはわからなかった。だめだったら辞めてもらえばいい。オープンの数日間だけでもいてもらえばいいと僕は思った。 「歩いて十分くらいの場所に住んでるんだね」 「はい」 「何か質問とかは?」 「大体わかりますから大丈夫です」 「わかるの?」 「はい」 「まあ、仕事は丁寧に教えていきますから。とりあえず、今日中に連絡するから。この番号って?」  履歴書の電話番号欄に050から始まる番号が書かれていた。 「PHSです。簡易型携帯電話です。これにかけてください」 「へえ、すごいね。PHSってのを持ってるんだ」 「倉沢優さんも持つことになってますよ」 「えっ? ああ、便利なら持つよ」  桐生マリアは満面の笑みを浮かべた。 「私、嬉しいです!」 「えっ、何が? まだ採用と決まったわけじゃないよ」 「あなたと会えて嬉しいです」 「えっ?」 「あ、ごめんなさい」 「いえ、それでは後で連絡します」  彼女が立ちあがり、僕も立ち上がった。彼女は深く頭を下げた。彼女はコートを着て、それから僕に手を振って店から出ていった。   「店長、あの子を採用するんですか?」  空き段ボール箱をたたみながら麻里子が僕に訊いた。 「多分仕事できないですよ、彼女」  CDを商品棚に並べながら弥生が言った。 「うん、でも人手が足りないからな」 「店長、見た目で選んだらダメですよー」  弥生が笑いながら言った。  初めて会うはずの桐生マリア。僕は彼女とどこかで会ったことがあるような 気がした。そんなことはないとわかっていながら。      
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