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フェンスに駆け寄り、さきほどの女性を捜すが見当たらない。
どういうこと?
当てた被害者に取りに行かせていなくなるって、酷いんじゃないの?
温厚な私でも、さすがにムッとする。
それでも、このテニスコートから飛んで出たボールには違いないだろうから、ポンと中に放り込んだ。
さあ、れもんさんのお店に行かなくちゃ。
そこで、紙袋を持っていないことに気が付いた。
『あれ? どこにやったっけ?』
『しっかりして。落ち着いて』
『うん』
いつまで持っていたか記憶をたどる。そうだ。枝の下をくぐる時に、そばの木にかけた覚えがある。慌てて振り返って見るが、無い。
風に飛ばされたのかもしれない。
テニスコートにいる人たちは、知らないだろうか。
「あの、すみません。あそこの木にかかっていた、白くて大きな紙袋を知りませんか?」
私は「これぐらいです」と、手で大きさを示す。
そこにいる人たちは「知らないわ」と、ぞんざいに手を横に振る。さっきまで、あんなに楽しそうにしていたのに、どこか訝し気な表情だ。さっきと何か印象が違う。そうだ。みんな一様にマスクをしている。
どうしたのだろう。
ああ。みなさん花粉症なのかもしれない。
「あなた、マスクはどうしたの?」
その中のすらりと背の高い女性が、とがめるような口調で声をかけてきた。
「え? ああ、私は花粉症ではないので、大丈夫です」
私がにっこり笑い返すと、その人は一層眉間にしわを寄せる。
「何言ってるの。感染症のために決まってるでしょう。外だからいいって、いい加減にしている人たちがいるから、蔓延するのよ」
そう言って、自分のバッグの中から、ビニールに入ったマスクを取り出してフェンス越しに差し出してくる。
「これ、新しいマスクだから、お使いなさい」
「あの、いただく理由がないので、いいです」
「いいから、お持ちなさい。私はあなたのためを思って、言ってるのよ」
その女性の強引さに驚いた。けれどそれはお節介ではなく、真剣に言っているのだとわかった。私はそのマスクを受け取った。
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