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第19話 不安
「いやあ、社長、モデルみたいでしたね!」
モデル―――確かにそんなかんじだった。
会場にいた私にしてみれば、複雑な心境だった。
朗久さんの隣に立つには『地味な女』だと思われていたに違いない。
ちゃんとした服装の朗久さんは確かに格好良かったけれど、すでに本人はいつものジャージ姿に戻り、絹山百貨店の地下で買ってきた和菓子と熱い緑茶で三時のおやつを食べていた。
専務と常務が会見中に百貨店に行って買ってきたらしい。
「株主リストってどうやって手に入れたんですか?」
「えっ…」
重役の中でも寡黙な副社長が目に見えて動揺していた。
上生菓子をすでに二個食べた後なのに大きなどら焼きを手にした朗久さんがなんでもないことのように言った。
「ハッキングしたに決まってるだろう」
ぺりっと透明フィルムをはがし、どら焼きを頬張る。
あの会見の場の面影一つない。
「犯罪ですよっ!?」
「一般企業くらいなら、足跡を残さずに簡単に侵入できるから大丈夫」
全然、大丈夫じゃないんですけど。
いつの間にか副社長は詳しく聞かれないようにフロアの隅っこに離れて座っていた。
「すぐにでも、今の社長を解任するが、解任後の人事を決めるぞ。莉世も頼む」
「はい」
「社長、俺が出向しまーす!」
「何言ってるんだ。ここは年長者の自分が行く」
「俺もやりたい!」
新事業のために時任グループから出向する人間を選ばなければならなかった。
誰が行くのだろうと思っていたけど、ほとんど全員が手を挙げた。
「は?お前らの邪な考えなんか、俺にはわかってんだよ。もう出向者は決めてある。大人しくここで仕事してろ」
「横暴だー!」
「反対だな。俺達の誰かが行くべきだろう」
朗久さんは冷ややかに重役達を見回した。
「莉世に取り入ろうとするのが見え見えなんだよ」
「私に?そんなことしなくても、私はちゃんと皆さんの事、信頼してますから」
「莉世さん!あなたの大切な絹山百貨店を守るのはこの俺にお任せください」
「何ってるんだ。俺が今以上の売り上げをだしてみせますよ」
朗久さんが手で追い払った。
「近寄るな!」
「社長の心の狭さが前面にでてますよ」
「俺達を信じてないな」
「信じられるか!」
「皆さん、朗久さんをからかっているだけなんですよ。私は絹山百貨店に出向してくれる方がいてよかったです」
「ぐっ……。じゃあ、一人だけだぞ」
「よっしゃー!」
「アミダにするか?くじにするか!?」
「早く決めようぜ」
アミダとくじ、じゃんけんの三回戦で出向者を決めることになったわけだけど。
こんな軽いノリで決めてよかったのだろうか―――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
朗久さん効果はすごかった―――絹山の買収が終わると、一気に株価はあがり、テレビや雑誌で朗久さんのスーツ姿を見た方から、注文が殺到した。
しかも、朗久さんを見ようと、奥様達のご来店が増えて売り上げはあがり、『時任社長には会えないの?』と、聞かれる始末。
私が絹山百貨店に通っているので、時々、朗久さんが迎えにきてくれてるけど、ボサボサ頭に黒ぶちメガネで誰からも時任グループの社長とは気づかれることはなかった。
社長は鈴岡のおじ様に任せることにし、時任グループから何人か出向し、新しい事業を連携してやっていくことになった。
「時任社長、素敵ですよね」
「絹山百貨店の紳士服専用モデルになってもらいましょうよ」
女性店員から、言われ、私は苦笑するしかなかった。
朗久さんが載った雑誌はビジネスマン用の雑誌でキャッチコピーも『仕事ができる男は特別なスーツを好む』だとか、『成功者はこのスーツで勝負する』とか、かっこいい言葉が並んでいた。
売り場にそれを飾ってあるのを見るたび、まるで私が知っている朗久さんじゃないような気がしてしまう。
紳士服売り場から、離れて婦人服売り場に行くと、常連の奥様が来店されて、私の姿を見つけると奥様は優雅に微笑みを浮かべた。
「時任さんが売り場にいらっしゃると聞いて、冬物のコートを買いにきましたの」
「ありがとうこざいます。前回、ご購入されたワインレッドのロングコートはいかがでしたか」
「とても、よかったわ。顔に色が映えて」
「それでは明るいお色のコートになさいますか」
「そうね。なにか出していただける?」
「はい」
新しく入荷したカシミアのコートがあり、そのビニールをとっていると、常連の奥様が遠慮がちに言った。
「ねえ、噂なんだけど、気を悪くしないで聞いてくださる?」
「なんでしょう」
「時任社長の婚約者は妹さんだったのかしら?」
「ええ」
元々はそうだったので、うなずくと奥様の表情が曇った。
「妹さんが好きだったのに奪ったと、噂できいたのよ」
「えっ!?違います。そんなことしません」
「そうよね。私も間違いじゃないかしら?と言ったのだけど。妹さんは婚約者を返してもらうと言っていたとか」
返してもらう?
そんなこと初めて聞いた。
しかも、私を悪者にして。
今さら、そんな。
手が震えていた。
自分が思っていた以上に朗久さんは私の中で大きな存在になっていて、失うことなんて考えたくもなかった。
なにを考えているんだろう。
麗奈は私から容易く奪っていく。
なにもかも―――鈍い私はいつも後から気づく。
今回も奪われてしまうのかと思うと、怖くてしかたなかった。
その場はなんとか対応したけれど、私の頭の中はいっぱいで、早く朗久さんに会いたかった―――
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