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【序】天狗様への願い事
人の世は常に憂えている。
貧困、災害、紛争、国際間の軋轢、環境破壊、温暖化、食糧危機……数えれば枚挙に暇がない。
そんな世界のうち、小国日本に隠れて存在する者たちもまた、同様に問題を抱えていた。人の世に憂いあらば、人ならざる者の世にもまた、憂いがあるのである。
人ならざる者のうち、人々の信仰と生活を見守りながら山に棲まう者たちがいた。
人は彼らを”天狗”と呼ぶ――。
敬虔な信徒であり護法の志篤き者たちが集った彼ら。その筆頭は、古より祀られる神であり、最も古く名を呼ばれた愛宕山太郎坊だ。
彼には、その才覚、知力、人望すべてを兼ね備えたと認めた跡取りがいた。
そんな跡取りが、先日とんでもない事を言い出したのだ。
――僕はこの山の頭領に就任します。愛宕山から勧請してください。
愛宕山現頭領・栄術太郎は、神の身でありながら、眩暈を覚えた。
およそ五百年ほど前から、跡目を継げとずーっと言い続けてきた自らの補佐役が、愛宕山を継がずに新たに山(土を最低限盛っただけ)を作ってそこを治めると言い出した。
大企業の跡取りが、いきなり掘っ立て小屋を作って、そこを支社にして自分がその社長になると言い出すようなものだ。到底、承諾できるものではない。
だが困ったことにこの跡取り、言い出したら聞かないのだった。
何度も何度も栄術太郎に承認を迫り、頷く気配がないと見るや、今度は古くからの友人たち(日本を代表するとされる八天狗たち)に、自分の頭領就任の承諾を迫ったのだった。
当然、誰一人首を縦に振るものなどいなかった。
だが、味方は外から現れた。
太郎坊の許嫁の母である山南優子は言った。
――私のお願い事をきいてくださったら、祈願を叶えた実績として認めて、頭領就任を承諾してあげてね
優子はその場にいた大天狗たち全員に言った。
すなわち、鞍馬山僧正坊、石鎚山法起坊、大峰山前鬼坊、彦山豊前坊、飯綱三郎、白峯相模坊、伯耆大山清光坊……日本の大天狗の中でも代表格たる八天狗を中心とした面々に、である。
本来なら一笑に付すところだろうが、その場にいた者は誰もそうしなかった。
つまり、優子が太郎坊に祈願したことを果たした暁には、彼を頭領として認め、後ろ盾にならなければならないのだった。
天狗の長たる栄術太郎を差し置いてそんなことをするわけにはいかない。だが、人間との誓いを反故にすることもできない。
すべては、太郎が優子の祈願を叶える事が出来るか否かにかかっているのだった……!
「では、母君の”お願い事”とは、如何に……?」
皆の視線が集まる中、太郎坊は、おそるおそる優子の祈願が書かれたその紙を開いた。
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