【序】天狗様への願い事

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『お店のお手伝いをいっぱいしてほしい』  そう、書かれていた。  それを見た瞬間、太郎は胸をなでおろした。 「なんだ……いつもやってる事じゃないですか」  同時に周囲の者たちは困惑した。 「母君、これでは甘すぎます。これでは無条件に奴の意見を通せと言っているようなものですよ」 「あら僧正坊さん」  くるっと振り返った優子の顔を直視したのは、僧正坊だけだった。ゆえに、冷や汗をだらだら流して、頬を引きつらせていく理由が、他の者にはわからなかった。僧正坊もまた、口を開けなかった。 「うちのお店のお仕事を”甘すぎる”と仰るの? クリスマスにお正月にとお祭り騒ぎしたい方々に心行くまでお料理とお酒を提供するという飲食業の書入れ時が”無条件”と同等だと……そうおっしゃるのね?」 「いえ……そのような……」  声はあくまでいつも通りのふんわりにこやかな調子。だが、何故か一言一言、鉄球で腹を突かれたような重圧を全員が感じていた。 「毎年毎年猫の手も借りたいほど忙しいのだけど、今年は大天狗様がお手伝い下さるからきっとすごく頼りになるんだろうと思って楽しみにしてたのに……そう、簡単に終わる取るに足らない作業だとそう思っていたのね」 「そ、そこまでは言っていません……!」  かつての負い目から、優子の言葉には絶対に逆らえない僧正坊だった。  そんな二人の間に、太郎が割って入った。助っ人をするような顔ではないが。 「まあまあ、母君。僕の方もどれほどの作業量なのかちょっとわからないです。外野は余計にわからないでしょう。どれほど大変でも僕一人で対応できたからという理由で文句言われても何ですし」 「あら、そうねぇ。でも実際、当日になってみないとわからないものでもあるし……」  太郎と優子の話が、奇妙にかみ合い始めている。これは……碌なことにならないと、皆が予感した。その時だった。 「じゃあ、皆さんも一緒にお手伝いしてくださいな。それで太郎さんの働きぶりを見て、承認してあげたらいいんですよ」  いつの間にか話が僧正坊から()に移った。しかも見るだけではない。”お手伝い”に含まれた。 「母君、ナイスアイデア。一石二鳥とはこのことですね」 「お前は余計な事言うな!」  法起坊が太郎をぴしゃりとはたこうとするが……もう勢いは止まらないのだった。 「本当に、一石二鳥だわ。それに皆さんがお手伝い下さるなら、今年はさらに盛大にしても良さそうね。例年以上にたくさん人を呼んじゃいましょうか」  護法天狗たちは、神仏に仕える身。当然、年末年始はとにかく”大忙し”なのである。それを知らぬ優子ではないはずなのだが……喉元に出かかった文句や異論はすべて、彼女の微笑みに封殺されてしまうという謎の現象が起こる。  大天狗達は、がっくりと項垂れて輪になり、正月のスケジュール調整を始めた。  困ったことに、その間優子が淹れてくれたお茶のおかわりもまた、美味しくて身に沁みるのであった。
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