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第一章 わたしと変身能力者(シェイプシフター) 03 不入斗麗二(いりやまずれいじ)
駐車場には……ああ残念、タヌちゃんはいなかった。
誰かが片付けてしまったのだろうか。今日は燃せるゴミの日だから、今頃ゴミ処理場にある可能性も? せめて誰かが拾って家の前に飾るか、リサイクルショップに売っていてほしいな……。
諦めて帰ろうとしたその時。わたしはまたしても、視界の端に意外な物を捉えた。
「あれって……」
わたしは駐車場の奥の隅まで移動すると、やっぱり見間違いではなかった事を確信した。
そこにあったのは、三センチ前後くらいの高さの台座に乗った、木彫りの熊だった。高さは一五センチ弱くらいで、あんまり大きくはない。四つ足で、口には鮭を咥えている定番のポーズだ。
……ていうか、タヌキの次は熊って、どういう事?
いらなくなったからって、勝手に捨てている人がいるのかな。でもそれだったら、一度に纏めてポイだよね?
……謎だわ、謎過ぎる。
わたしはしゃがみ込むと、改めて木彫りの熊を眺めてみた。
あら、よく見るとこの子も可愛い! パッと見た時には気付かなかったけれど、上目遣いで、それが何とも堪らない。
ああ……なでなでしたくなってきた。
わたしは空いている左手で、木彫りの熊の頭に触れ……おっと、一応通行人がいないかどうか確認して……うん、大丈夫。
「よぉ~しよしよしよしよし! クマちゃんよしよぉ~し!」
なでなでタ~イム!
「プッ……ククッ」
……んんっ?
今……誰かがちょっと噴いちゃって、そんでもって堪え切れずに笑っちゃったりしなかった?
わたしはしゃがんだまま、慌てて周囲を見回した。
……誰もいない。空耳だったかな。
……ってちょっと待てよ。昨日もこんな事あったよね?
それに今の笑い声……木彫りの熊から聞こえなかった?
わたしはスイーツの袋をリュックにしまい、クマちゃんを両手で持ち上げると、向きを変えながら全体を注意深く確認してみた。ひょっとすると、このクマちゃんには何か仕掛けがあるのかもしれない。それは昨日のタヌちゃんも同様で、わたしみたいに興味を持って触る人たちをビックリさせようとしているのかも。
ところが、いくら確認しても怪しい要素は見当たらなかった。暗がりだからわかり辛いのかもと思って、スマホのライトも点けてみたけれど、やっぱり何の変哲もなさそう。
……全然スッキリしない。絶対何かあるに決まってる。少なくとも、この近くの何処かで誰かがわたしの様子を窺っているような気がしてならない。
「壊してみようかなぁ~っ?」
わたしはわざとらしく大きめの声でそう言うと、立ち上がってクマちゃんをゆっくりと頭上に掲げた。
「ようし、原型留めないくらいに粉々にしちゃる!」
その時だった。
「待て待て待ってストップ!」
頭上から男の声がした。
「そのまま一旦降ろしてくれ、頼む」
喋っているのは、紛れもなくクマちゃんだった。ふーん、やっぱり仕掛けがあるのね。
優しいわたしは、言われた通りにしてあげた。
「ふう。やれやれ、おっかないなあ」
あんたが悪いのよ、あんたが。
「……なあ、周りに君以外誰もいない?」
わたしはざっと周囲を確認すると、無言で頷いた。
「よし。んじゃ……見て驚くなよ?」
クマちゃんがちょっと格好付けたようにそう言うと、直後にとんでもない事が起こった。
ぼわん! て感じで、クマちゃんからいきなり白い煙が発生して、姿が見えなくなった!
「うわっ!?」
わたしはビックリして後ずさった。何これ爆発? 危ないんですけど! ま、まさか邪魔なわたしを始末するために……!?
「やっぱり元の姿が一番だな」
薄くなった煙の向こうから、男の声と共に姿を現したのは、クマちゃんじゃなかった。
「猫も身軽でいいんだけどさ、気安くちょっかい出してくる人間が多くて面倒なんだよ」
それは紛れもなく人間の男だった。身長は一八〇センチ前後くらいで、髪を茶色く染めていて、両耳にはピアスが一つずつ。スカジャンにジーンズ、履き潰した感のあるスニーカーという服装。特別派手じゃないけれど、ちょっと目立つ方かもしれない。
……あれ? そういえばこの特徴って……いや、ていうかそれよりも!
「何処から湧いてきたの!?」
「湧くってそんな、虫みたいに言わないでくれよな。いたよ、最初から」
男は少し笑いながら答えた。あ、その笑顔ちょっと可愛いかも……いやいや、それどころじゃない。
「最初からいた? 嘘、何処に」
「だから君の目の前に」
「え──」
「昨日はタヌキの置き物だった……そう言えばわかるかな」
えーと……つまりそれは……。
「中に入ってたの!?」
「そうきたか!」
あれ、違ったらしい。そういえば残骸が全然見当たらない。
「仕方ない、特別にもう一度」
「え──うわっ!」
男から白い煙が発生して、姿が見えなくなったかと思うと──
「あ、あれっ?」
そこには一匹のキジトラ猫。気のせいかな、人間みたいにニヤリと笑っているように見える。
「え、ええ……?」
わたしが混乱してフリーズしかけていると、またまた白い煙。でもちょっと慣れてきたわたしは、今度は驚かなかった。
「これでわかった?」
再び姿を現した男。キジトラちゃんはいない。……つまりこれって、まさか……!
「変身……した?」
「正解」
ええ!? ちょっと待ってよ、自分で答えといて何だけれど、そんな事ってあり得るの!? 信じられない……いや、すぐ目の前で見ちゃったわけだけれど……。
「何かトリックがあると思ってる? ないよ、全然」
「じ、じゃあ一体」
「変身能力があるんだ、俺。変身能力者ってやつ」
別に特別な事ではないと言わんばかりに男は答えた。
「シェイプシフター……」
聞いた事あるような、ないような。いや、ていうか……。
「変身能力って……マジなの?」
「マジなの。今見せたばかりじゃないのさ」
「何で!」
「そう言われてもなあ。ある日、変身能力が身に付いている事を本能で感じ取った、としか言えないんだなこれが」男は肩を竦めた。
わかったような、わからないような。そして疑問はまだまだある。
「何でこんな所で変身していたの?」
「君、昨日ここで、ガラの悪そうな三人組に話し掛けられただろ」
「うん。あの三人、あなたを探していたのよね?」
「そう。あいつら、自分たちより弱そうなおじさん一人を囲んで脅しててさ。何か見てらんなくって止めに入ったんだ。でもこっちの話なんて全然聞かないもんだから、つい頭きて、スキンヘッドの奴を禿げ茶瓶呼ばわりしちゃったんだよね。そしたら、ブチ切れたハゲに殴る蹴るされてヤバくなったから逃げた」
「命知らずだなおい!」
何やってんだこの人は! まあ、大した怪我はしなかったみたいだから良かったけれど……。
「何処までも追い掛けて来るもんだから、すっかり疲れちゃってさ。置き物に変身してここにいたら、君が来て」
「ああ、うん……よしよししたわね」
「そうそう、よしよし……ププッ」
「わ、笑わないでよもう!」
まさか正体は人間だなんて思わないでしょ! ああ、だんだん恥ずかしくなってきた!
そしてそれと同時に、わたしはこの人に対しての警戒心が早くも薄れてきている事に気付いた。普通に考えたら、まだまだ充分怪しいんだけれど。
でもこの人は、全然悪い人間じゃない──わたしの直感が、そう告げていたのだ。
「え、待って。昨日はわかるとして、今日は何で?」
「そう、それなんだけどさ……」シェイプシフターさんは指先で頬を掻いた。「その……もう一度君に会いたいなって思ってさ」
……え?
「ここで待ってたら、また君が通り掛かるんじゃないかと考えて、変身して待ってたんだ。もうちょいわかりやすい位置にいたかったんだけど、他の人間に勝手に持ち帰られそうになっても困るだろ。無事見付けてもらえて良かったよ」
……ええ?
「俺、先月横須賀に引っ越して来たばかりでさ。色んな観光地を見て回りたいんだ。君さえ良ければ……案内してくれない?」
……えええええっ!?
「なしてそうなるだ!?」
「何で方言みたいになった?」
いや、だって……何でよりによってこのわたし? 他にいるでしょ、その……若くて可愛い娘が。そう考えてしまうのは卑屈だろうか。
「あー……知らない男にいきなりこんな事頼まれたら、普通は引くよな。ごめん」
黙ってしまったわたしを見て、シェイプシフターさんは申し訳なさそうに言った。……ああ、別にそういうわけじゃないんだよ。
「全然嫌じゃないよ」わたしははっきりと答えた。「ちょっとビックリしただけ。いいよ、わたしで良ければ」
「え……マジなの?」
「マジなの。今言ったでしょ」
「……有難う」
シェイプシフターさんはちょっと照れたように笑った。あ、今のもちょっと可愛かったかも。
「俺は不入斗麗二。レイジって呼び捨てで構わない」
「桐島美十香よ。じゃあ、わたしも下の名前で」
「ミトカ……ちょっと珍しいね」
「同じ名前の人に会った事ないわ」
「インド神話の神様みたいだ」
「え、そうなの?」
これがわたしとレイジの、とっても風変わりな出逢いだった。
もっとも、後に経験する様々な異性との出逢いも、負けじ劣らずかなり風変わりなんだけれど……当然ながら、この時のわたしはまだ知らなかった。
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