帰省中

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帰省中に部屋で突然死。両親は間違いなく取り乱すだろう。案外短かった人生を思うとやりどころのない怒りのようなものがふつふつと湧いてきて、呑気に寝転がっていることなど出来なかった。 「ここは……」 田舎の実家だ。よく見なれていた天井の筈なのに気が付かなかった。生前は必要最低限以外、寄り付こうともしなかったのに、まさか最期に帰ることになるとは。 家族の名前を順繰りに呼んでいく。もちろん返事はない。せめてあの憎たらしい凛子でも居てくれたら……。ふと、思いついて「バァさん」と呼びかけてみる。 半分諦めて再び横になると、背中の方向から畳の擦れる音が聞こえる。身構えつつ振り向くと、小さな人影がこちらに背中を向けて座り込んでいる。伸び放題で汚らしい白髪が愛おしくさえ思える。「バァさんは死んでるんだもんな」口の中で呟いてみた。死者仲間。惨めったらしい響きだ。 「なあ、バァさん」 翔太の呼びかけには答えず、顔をおおって床に突っ伏し泣き続ける。鳴き声に混じって時折「どうして、どうして」というような事が聞き取れる。翔太のことを悲しんでくれているのかもしれないとも考えたが、直ぐにその楽観的な観測は打ち消された。かつての少女と老婆の間を行き来していた頃、同じような状況を相手していたのは誰だったか。面倒をみるのが嫌で家を飛び出したのは誰だったか。彼女が流しているのは恨みの涙なのではないか。くぅぅ、くぅぅ、と吊り下げられた鼠を思わせるか細い声で女は嘆き続ける。 試練、乗り越えなくてはならないもの。なんのために?天国へ行くためだろうか。翔太は試されている実感があった。ここでこうして眺めているだけでは、あの頃と何ら変わりない。成長もなにもしていない。家を出ていた数年間で何を得て何を知ったのか。思い切って肩を揺する。布一枚隔てて触れた肌は、想像していたのよりもずっと骨ばって冷たかった。 「バァさん、俺が、俺が悪かった。あなたを棄てて……。もう、逃げ出すことはしない。だから、もう泣くのはやめてくれ」 その台詞に反応するように、老婆の体はわなないた。西日の照らす、弛んだ皮で覆われた首筋が上がり、こちらを振り向く。 こちらを見つめるのは大きく窪んだ眼窩。翔太は思わず息を呑む。違う、これは違う。女の乾いた唇が引き攣る。笑っている。軋んだドアのような音を上げながら。黄ばんだ歯が一本、ポロリと畳に零れ落ちた。堰を切るように前歯が、犬歯が、糸をひいて。老婆の器が溶けだしている。顔の大部分が鼻と一緒にぬちゃりと嫌な音をたてて畳に染み込んだ時、翔太の目前に現れたのは町田の疲れ果てた顔だった。
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