帰省中

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「とるな!」 五円玉を探そうと、佳美が財布をまさぐっていると、突如として後ろから怒鳴り声が聞こえた。鬼気迫った表情。敷石に恨みでもあるかのようにカツンカツンと踵を鳴らして詰め寄ってくるらしい。カメラの向こうで目が合った。正気じゃない。けれど、どこかで見知った眼。 「とるな!」 「町田さんじゃないですか。どうしたんです?こんな所で」 佳美が一歩進み出る。そして、僅かにこちらへ顔を向け、瞳に提灯の光を映した。先に行け、のサインだ。俊彦は了解したらしく、町田を刺激しないよう、ゆっくりと後ずさる。 「だから、とるなと言っているんだ!」 「落ち着いて落ち着いて、私達は泥棒なんかじゃありませんよ。お賽銭なんかとったらそれこそバチが当たります。今日はせっかくのお祭りですよ? そう怒らないで楽しみましょう」 十分な距離はとった。俊彦は一目散に階段をかけ下りる。画面がひどく揺れて酔いそうになった。 「今、町田さんって言った?」 「ああ、去年くらいからか? 急に人が変わって、一日中ずっと座って空見上げてたりするんだよ。あんな風に怒り出したのは初めてかもしれない」 「随分警戒しているんだね」 「なにせ、珍しいから」 町田。確か商店の隣に1年半ほど前に越してきた男だった。外から来た人間だからか、この村では珍しい苗字なので、同一人物で確定だろう。子供だった翔太はあまり気にかけていなかったが、一人でこのような田舎にわざわざ越してくるのはおかしいと、色々な噂が立っていた。借金取りから逃げてきたに違いない、といった種のありきたりな推測だ。元々村人からの評価は芳しくなかったのに、精神を患ったとあって、ますます敬遠されてしまっているのだろう。いくら時代が進んだとはいえ、外界の情報からは殆ど取り残されたようなこの村では、根強い偏見が残っている。 「確か写真を撮るために越してきたんだったろ?」 「ああ、そう言えば去年の祭りもパシャパシャやってたよ。子供みたいに嬉しそうな顔して。そうすると今年は可哀想だな。写真なんか撮っていられる状況じゃないだろ」 余所者と虐げられながらも、この村の景色を誰よりも愛していたのは町田だ。自分を喪ってもなお、村を守り続けようとする執念はなんともいじらしくみえる。 俊彦は妻を残してきた神社の方を見やる。そして、聞こえるか聞こえないかくらいのボリュームで独りごちた。 ――きっと大丈夫さ。ボケ老人を数年間相手にしていたんだから。 都会に出、祖母の住む村を捨てたことを責められているようでなんとも胃が冷たくなった。 広場を目指す冷たい石段の音を聞きながら、記憶も同じようにして下っていく。
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