第8話(2) 幕を下ろした夢

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「『好色女』だなんて、どの口が仰るのかしらねぇ」  今まで黙って話を聞いていた母上が、ふふふ。とこの場に似つかわしくない笑顔で言った。 「殿下の文通相手のお嬢さんは…ほら、スイートラバー子爵の市井出身の私生児なのでしょう? 『好色女』だなんて下品な言葉、高貴な王族のイーサン殿下が知る筈ないもの。そこのお嬢さんが仰っていたのかしらねぇ…」  母上の言葉に、父上も僕も目を丸くする。それがもし本当ならばリリス、君はなんて怖いもの知らずなんだ…! さらに母上は続ける。 「それに…今、社交界では殿下とスイートラバー子爵令嬢の醜聞がチラホラと噂されているのですよ。醜聞と言っても、婚約者の目を盗んで密会していた…程度の噂話ですけれど」 「なんだって!?」  珍しく声を荒げた父上が、母上の肩を掴む。 「まぁ、旦那様。そんなに驚いてどういたしましたの? 当たり前の事ではないですか。シャロン嬢のお母様であるエリアーナ様は、社交界の華であるスターリング公爵夫人の親友だと言うお話は私が学生の時から有名なお話ですのよ。四大公爵家のご婦人に二人からも嫌われて、無事に済むと思って?」  母上は楽しそうに「社交界で恥晒しにあったスイートラバー子爵令嬢よりも夫人の方が大変そうですけれども」と笑って、肩を掴む父上の手にそっと自身の手を添えた。 「旦那様、社交界とは…政から隔離された世界、そして女の戦いの場となりますの。だからと言って、その存在を軽視されるのは些か愚かだと申すべきでしょう。妻達が囁く噂はただの噂では終わりません。その噂は夫の耳に入り、官僚達の耳に入り、いずれはヴァネッサン伯爵家が支持するイーサン王太子殿下を旗本とした王党派の対極にいらっしゃる貴族派の者の耳に入ります。旦那様、私の仰りたい事、分かって頂けますね?」 「…あぁ。ああ、よく分かったよ…」  父上は愕然とした顔で母上を見つめている。母上は笑顔から一変、真剣な眼差しで見つめ返していた。 「私は、旦那様の妻として、ハリスの母として、代々王族に仕えるヴァネッサン伯爵家の一員として、今の現状を看過するわけには参りません」  事態は深刻だ。僕の、そして母上の言葉を聞き父上はどう判断を下すのか。ヴァネッサン伯爵家はもう引き返せない所まで来ている。ここでひとつでも判断を誤れば、イーサン諸共我が家の名誉は地に堕ちるだろう。
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