4 やよい軒とかつや

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それは、とある日曜の夕方のこと。 その日は夕方5時頃、高円寺駅にて女と落ち合った。 普通ならば、土曜の昼過ぎにお茶の水や 神保町あたりで待ち合わせをするのだが、 土曜や日曜の日中はお互いに都合が付かず、 そして、月曜は俺が朝早いということで、 俺の住む荻窪にほど近い高円寺駅にて 待ち合わせることとなった。 高円寺駅の改札付近にて落ち合った女は、 俺の手を引っ張るようにして高円寺駅の北口を出る。 居酒屋やらカラオケ店の電飾看板が乱立し、 ケバケバしく賑やかな雰囲気の南口付近と比べ、 北口付近は随分とうら寂しい雰囲気だ。 俺と女は人気の少ない高架沿いの道を西側へと進む。 そして、定食屋である『やよい軒』の前に辿り着く。 女は『チキン南蛮定食』を頼んでねと俺に言い、 つかつかと店内に入る。 俺は店に入ってすぐの場所にある券売機にて 『チキン南蛮定食』の食券を2枚買い、 そして、女と差し向かいで店内のテーブル席に座る。 夕食時にはやや早い時間だったためか、 店内のお客は俺たちだけだった。 店員さんに食券を渡して料理が出てくるのを待つ間、 女は得意げにチキン南蛮について語る。 チキン南蛮は宮崎の名物料理であって、 彼の地の『おぐら』と言うレストランが 発祥であることや、 大分が発祥の全国チェーンのファミレスの メニューにもチキン南蛮定食があることなどを 蕩々と、そして嬉しげに語る。 お盆に載せられた『チキン南蛮定食』が運ばれてくる。 女は目を輝かせんばかりの喜色をその顔に浮かべる。 手を合わせていただきますと言い、 そして、勢いよく食べ始める。 俺も女に倣い、手を合わせて頂きますと言い、 そして、食べ始める。 女は鶏肉にしっかりとタルタルソースを 絡めて食べるようにと俺に言い、 手本を示すかのように鶏肉にタルタルソースを 満遍なく絡める。 愛おしむかのように口に運び、 そして、いかにも幸せそうな表情を浮かべながら それを頬張る。 幸せそうなその表情に一瞬魅入ってしまった俺は、 気を取り直し、女に倣うかのようにして チキン南蛮を頂く。 鶏肉のジューシーさとパリパリとした衣の香ばしさとが それに掛けられた甘酢ダレと良く調和しており、 また、こってりとした旨みと仄かな酸味とを 併せ持つタルタルソースが、鶏肉らの旨みや味わいを まろやかに包み込んでいる感じだ。 実に美味しい。 そして、このタルタスソースなるもの、まさに至高だ。 ベースはマヨネーズなのだろうけれども、 細かく刻まれたゆで卵や玉ねぎなどの野菜が 混ぜられており、味わいや食感に深さや幅広さを与えている。 もう、これだけもご飯が進みそうだ。 実はその前の週、 唐揚げには一体何が合うか、という論争となった。 唐揚げには塩胡椒だと主張する俺に対し、 マヨネーズこそが至高であり、 また、その一つの究極の姿がタスタルソースを和えた チキン南蛮であると女は強硬に主張した。 そして、論より証拠ということで、 今日は『やよい軒』で一緒に『チキン南蛮定食』を 食べることになったという運びだ。 チキン南蛮の美味しさに首肯する俺、 そんな俺を誇らしげに見遣る女。 そして、女はおもむろに席を立ち上がり、 空の茶碗を持って何処へと歩み去る。 程無くして戻ってきた女の茶碗には、 ご飯が山と盛られている。 やよい軒はご飯のお替りが自由なのだ。 俺の茶碗もすぐに空となり、 女に倣うようにしてお替りをしに行く。 チキン南蛮は実にご飯が進むものだ。 夕方になって初めてのお客だったためか、 ご飯は炊き立てであり、米の粒も立っていた。 ご飯も美味しいと嬉しそうに頬張る女。 結局、女も俺も2回ずつご飯をお替りした。 女は2回とも山盛りだったので、 俺よりも食べていることになる。 料理を平らげ、満足げな吐息を漏らす女。 女の皿には千切りキャベツの一筋も残されておらず、 また、茶碗には一粒の米も残されていなかった。 いつもながら、随分と綺麗に食べるものだと思った。 女の食べっぷりは見ていて気持ちがいい。 常々、そう思う。 食べている最中の、その満足そうな、 幸せそうな表情にはよく魅入ってしまう。 その表情を目にすると、何となく暖かな気持ちが 胸中に込み上げて来てしまう。 よく食べたね、と女に向かって言う俺。 女は答える。 呆とした雰囲気で、そして幸せそうな口調で。  私、貧乏舌なの。  だから、何でも美味しく感じちゃうし、  たくさん食べちゃうの。 えっ、貧乏舌?と問う俺に、 女は相変わらず呆とした感じで答える。  うちのお母さん、  料理があんまり上手じゃなかったみたいだから。 我に返ったように、女は急に無表情となる。 無言のまま、そそくさと席を立つ。 それ以上の会話も質問も受け付けないといった、 冷ややかな雰囲気を漂わせつつ。 女はつかつかと店を出る。 俺も追いかけるようにして店を出る。
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