4 やよい軒とかつや

3/10

9人が本棚に入れています
本棚に追加
/36ページ
やよい軒を出たところで女は俺を待っていた。 けれど、会話を拒むかのような 冷やかな雰囲気は未だに纏ったままだ。 二人並んで高円寺駅の改札口の方向へと 歩みを進める。 女は依然として無言だ。 訳が分からない。 つい先程までは実に機嫌良く 『チキン南蛮定食』を満喫していながら、 何故か急に態度を変え、 そして、今や口もきこうとしない。 流石に理不尽だろう。 楽しげに食事を摂っていた、 つい先程の態度との余りの落差に、 怒りとは言わぬまでも、 激しい感情が込み上げて来る。 一体どうしたんだよ? 何か気に障ることでも言ったか? と、自分でも分かるほどの 気色ばんだ声で問い掛ける。 女は俺の声にハットしたような表情となる。 そして、何故か柔らかげな微笑を浮かべる。 その表情に気勢を削がれてしまった俺は 言葉を失ってしまう。 女と並んで高円寺駅の北口へと歩みを進める。 女は相変わらず無言だ。 歩きながら、先程の会話を思い出す。 印象に残っているのは、「貧乏舌」、 そして「お母さん」という、女の発した言葉だった。 そう言えば、女はこれまで自分の家族のことを 話したことはなかったな、と思い至る。 しかし、それが態度の急変の原因というのも理解し難く とは言っても、それが原因なのかと問い掛けるのも躊躇われる。 逡巡している俺に、女が不意に話し掛けてくる。 唐揚げには、やっぱりマヨネーズよね、と。 深刻さの欠片も無い、脳天気な女の口調は、 俺の抱える煩悶を棚上げさせた。 先程の『チキン南蛮定食』の話となり、 そして、女のチキン南蛮講釈が始まる。 やよい軒、件のファミレス、そして全国チェーンの弁当屋。 それぞれで供されるチキン南蛮の特徴や美味しさについて、 女は延々と話し続ける。 相槌を打ちつつ、その話に耳を傾ける。 そうこうしているうちに、 いつの間にか高円寺駅の北口を 通り過ぎてしまっていた。 女の態度、それは矢張りどことなく不自然だ。 動揺しているような、 そしてどことなく虚ろなような。 女は不意に「あ!」とい小さく声を上げ、 そして右前方を指差す。 指差したその方向には、『かつや』があった。 女は唐突に、カツ丼を食べようと言い出す。 つい先程、チキン南蛮を食べたばかりなのに。 そしてご飯のお替りを2杯もしたのに、 と困惑する俺の手を引くようにして、 女は『かつや』に向かう。
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加