4 やよい軒とかつや

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夕方の6時過ぎと言うこともあり、 店内はまだ八割方空いていた。 俺と女はボックス席に座る。 ここは私が払うからと宣言した女は、 お冷やを持ってきた店員にカツ丼の梅を2つ注文する。 流石に一番小さいサイズのものだ。 毎週、女は何かしら俺に奢らせるが、 それは1軒目のお店に限ってのことだ。 2軒目のお店に行く際、自分の分は必ず払う。 また、今回の「かつや」のように、 自分から一方的に誘った場合は、俺の分まで払おうとする。 そして、一緒に行く店は 一人あたり千円程度に収まるところばかりだ。 寿司や焼肉、あるいは高級なレストランなどに 行くことは無く、喫茶店や定食屋、 そしてラーメン屋程度だ。 そんなお店で十分に満足しているようだ。 女はかつやの調理システムについて語り始める。 かつやには特注の自動揚げマシーンが導入されていて、 パートであっても短い時間でカツを揚げられること、 そして、揚げ油についても定期的に濾過されていて、 品質的に安定した状態であるなどと蕩々と語る。 そして、時折、強引な感で地獄に擬えてみたりする。 何なんだこいつは?何でそんなことに詳しいんだよと 心中で突っ込みを入れながらご高説を拝聴しているうちに、 カツ丼の梅が到着する。 俺と女は揃って手を合わせ、頂きますと小さく言い、 そして、カツ丼に箸を付ける。 カツ丼は、俺の好物だ。 それは女もよく知っている。 恐らくなのだが、「やよい軒」を出る間際の態度について、 女なりに申し訳なく思うところがあるのだろう。 ただ、何故にそのような態度を取ったかについては 言いたくないし、そして、追求もされたくないのだろう。 それ故、せめてもの詫びということでカツ丼なのだろう。 「やよい軒」で定食を頂いた直後なのはどうかと思うが。 とは言え、せっかくのカツ丼なので有り難く頂くことにする。 カツ丼のカツは6つ切りであり、それらが卵でとじられていて、 その上には三つ葉が載せられている。 真ん中付近のカツを箸で掴み上げ、 そして口へと運び込む。 衣のサクッとした食感、 それに続く豚肉のモチッとした食感。 心地よい熱気と共に、 口中に染み渡るのは衣の纏う油の旨み。 そして、それを追いかけるようにして、 出汁をふんだんに纏った卵のふくよかな旨みと 仄かに辛みを残した玉ねぎの甘みが、 恰も潮が満ちるかの如く口の中に溢れかえる。 カツや卵、そして出汁や玉ねぎの旨みを噛み締めつつ、 追いかけ気味にご飯を口の中に運ぶ。 出汁を纏った米粒はパラパラとした感であり、 また、出汁を纏わぬご飯はモッチリとした食感だ。 グラデーションのような食感のご飯が、カツや卵、 そして出汁のむせ返らんばかりの旨みを受け止め、 優しい塩梅に落とし込んでくれる。 至福の一時と言っても良いだろう。 ふと気が付くと、女は悪戯っぽい微笑を浮かべつつ 俺がカツ丼を食べる様を見つめている。 女と目が合う。 女は俺を見ていたことなど素知らぬ素振りで カツ丼を口に運び始める。
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