4 やよい軒とかつや

6/10

9人が本棚に入れています
本棚に追加
/36ページ
荻窪駅には5分も要さずに到着した。 改札を抜け、そして駅の北口を出る。 駅の北口から俺のアパートまでは歩いて10分程度だ。 荻窪駅に着いたのは夜の7時頃。 陽はとうに落ち、ドンキやカラオケボックス、 そして居酒屋の看板などが放つ騒がしい光で 駅前は満たされていた。 駅前の広場は、駅に出入りする人やバスを待つ人の列、 駅ビルへの買い物客、そして時間を持て余しているような 学生たちでごった返していた。 四方八方へと行き交う人波の中を、縫うように歩く俺と女。 依然として苦しげな女は俯き加減で歩いていることもあって、 何度もはぐれそうになってしまう。 やむを得ず、俺は左手を差し伸ばして女の右手を取り、 人波の中、女を引っ張るようにして歩く。 何とか駅前の喧噪を抜け、大通りを渡る横断歩道前に辿り着く。 歩行者信号が青に変わるのを待つ。 信号が青へと変わる。 俺と女は横断歩道を渡る。 横断歩道を渡りきり、右へと向きを変えて歩く。 人影は次第次第にまばらとなる。 今更ながら、はたと気付く。 女と手を繋ぎ、 そして、身を寄せ合うようにして歩いていることに。 女の手のぬくもりが繋いだ左手から伝わってくる。 仄かな湿り気も感じる。 表面上は何も変わらぬ、 そして素知らぬ風を装いながらも、 内心では混乱の極みだった。 かといって、繋いだ手を離すこともできなかった。 女から手を離すまでは、と思った。 女は俯き加減なので、その表情は分からない。 ほんの僅かだけど、 女の手を握る左の手に力を込めてみる。 ほんの僅かだけど、 女も俺の手を握り返してきたように思えた。 人気の途絶えた、 灯りも疎らな通りを黙々と歩みを進める。 俺も、女も無言だった。 俺と女はアパートの前に辿り着く。 手を繋ぎ、そして、身を寄せ合ったまま。
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加