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女のその身は微かに震えたかのように見えた。
それは女の感情の揺らぎが見せる、
謂わば陽炎のようなものだったのかもしれない。
女は鍵を静かにローテ-ブルの上に置く。
僅かな金属音が、その密度を増したような、
重苦しい空気の中を遠慮がちに伝わる。
女はゆらりと立ち上がり、そして、玄関へと向かう。
俺は慌てて立ち上がる。
そして、出て行こうとする女を追い掛けながら
大丈夫?と問い掛ける。
振り向かずに女は小さく答える。
ありがとう、もう大丈夫。
その声からは、感情の起伏は感じられなかった。
平板で無色、そして無表情。
そのような印象を受ける、まるで抑揚の無い声だった。
女は黙ったままショートブーツを履き、
ドアを開けて出て行こうとする。
俺は、何と声を掛けたら良いのか分からなかった。
辛うじて、「ごめん」という言葉だけが、
口を突いて出てきた。
その声色は悄然としたものだった。
発した自分自身でも明らかにそうと判るほどに。
女はようやく右の横顔を見せ、そして言う。
辛うじて聞き取れるほどの小さな声で。
ううん、私のほうこそ、ごめんなさい。
その横顔は青褪めているようにも見え、
辛うじて見えたその瞳は、潤んでいるようにも見えた。
女の姿はドアの影に消えて行った。
ドアがゆっくりと閉まる。
女は手を添えながらドアを閉めているのだろう。
カチャリ、と遠慮がちにドアが閉まる。
その仄かな金属音は、
女の最後の言葉と重なり合うように控えめだった。
そして、その控えめながらも冷たい音は、
俺と女との間の、埋め難い断絶を宣告しているようにも思えて。
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