5 丸亀製麺

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5 丸亀製麺

「丸亀製麺って、地獄だよね。」 女こと舞島紗花(まいじまさな)はそう語る。 ここも地獄か、と心の中で溜息を付きつつも、 何を以て地獄だと言い張るのか、興味もまたある。 残念なことに。 俺は女に続きを促す。 女は小さく溜息を付き、そして語り始めた。 どこかしら嬉々とした雰囲気を、 そしてどこかしら諦念めいた雰囲気を漂わせつつ。 丸亀製麺の前に辿り着いたのは、 約束だった6時半の5分ほど前のことだった。 予想通り、店の前にも、そして店の中にも 女の姿は無かった。 一人で入るのも何だし、 店の前で暫く待つかと思ったところ、 俺が来た方向とは反対側から女がいそいそと姿を現わす。 女は、先程の唐突な、そして狼狽気味なご退場などまるで無かったかのように、取り澄ました表情でごく自然に俺に目配せをし、そして颯爽と丸亀製麺に入店する。 俺も慌てて追いかけるかのように入店する。 女は釜玉を注文する。 そして野菜かき揚げと鮭のおにぎりとを、 お盆に載せた小皿に取る。 俺も釜玉を注文し、そして、女と同じく野菜かき揚げと鮭のおにぎりをお盆に載せた小皿に取る。 ドトールで女に聞かされた、うどんや野菜かき揚げを食べる様が意外と心に残ってしまっていたようで、ついつい女と全く同じ組み合わせになってしまった。 何やら悔しい気持ちもするが。 茹で上がったうどんを受け取り、それぞれのお盆に載せ、そして会計を済ませる。 2軒目ということもあってか、会計はそれぞれで済ませた。 女は、1軒目のお店では有無を言わせず必ず俺に奢らせるが、2軒目以降のお店では必ず自分で支払うのだ。場合によっては俺の分まで支払おうとすることすらある。 お冷やをコップに満たし、サービスの葱や揚げ玉を釜玉の上に適量載せた俺と女は、空いているテーブル席に差し向かいに座る。 夕食時にはまだ早いためか、店内の席は八割方空いている。 冬の陽は暮れるのも早く、ドトールにて女が不快がっていた、刺々しい陽の光は既に消え失せ、店外から押し入らんとする夜の帳を控えめな照明の光が何とか押しとどめているといった感だ。 お互い、手を合わせて頂きますと呟く。 そして、それぞれうどんを啜り、野菜かき揚げを噛み締め、鮭おにぎりを頬張る。 うどんの弾力は心地よく、出汁と絡んだ卵のコクが、その味わいに重層感を与えているような心持ちだ。 ひとしきりうどんを啜り、一息ついたところで、女は例によって宣うのだった。 「丸亀製麺って、地獄だよね。」 続きを促す俺の言葉を受け、女はアンニュイな、そしてどこか嬉々とした様子で語り始める。 「丸亀製麺は完璧よ。至高よ。  炭水化物を掻き込む喜びというものを  とことん堪能させてくれるわ。  うどんのモチモチとした弾力は楽しいし、  しょっぱめの出汁とコッテリとした温泉卵の  黄身は、うどんの淡泊な味わいと狂おしいまでに  マリアージュしているわ。」 「おにぎりも美味しいわ。  やや湿った海苔に包まれたおにぎりを頬張って、  そして塩気のある鮭とご飯粒とが  渾然一体となって口の中で解ける様、  それはまさに日本の喜びって感じ。  そして、鮭とご飯の余韻が漂う口の中に  出汁と黄身とを纏ったうどんを啜り込めば、  その喜びは最早倍増よ。」 「野菜のかき揚げもまた秀逸よ。  揚げたてであっても、  揚げられてからやや時間が経ってて、  少し『へなっ』となっていても素敵よ。  今日のは『へなっ』となってるやつよ。」 「湿り気味の衣からにじみ出る油の味わい、  素敵の一言に尽きるわ。  うどんのあっさりとした味わいに慣れきった  口の中に、こってりとした旨みを湛えた  油の膜がさーっと広がる感じ。」 「そして、破れた衣の中から顔を出す野菜、  これがまたいい味わいなのよ。  短冊切りの人参の味わいは、  まさに野菜かき揚げでしか堪能できない妙味よ。  油を含んだしんなり感と、人参が元々持つ歯応え、  これらが絶妙な塩梅で共存しているわ。」 「そして何と言っても、  この野菜かき揚げの主役は玉ねぎなの。  それだけは断言させてもらうわ。  破れた衣の狭間から現れる玉ねぎ。  熱せられてしんなりとして、  そして甘みを増した玉ねぎ、  それと油の旨みとがまた良く合うのよ。  衣のサクッと感を残しつつも  『へなっ』とした食感が、玉ねぎの柔らな食感と  マッチしているし、  そして、油の旨みが玉ねぎの甘さの輪郭を  際立たせている、そんな感じよ。  玉ねぎを味わうこの刹那、それこそが今宵の、  この丸亀製麺でのクライマックスと言っても  過言ではないのよ。」 それは良かった。 でも今の話って、全然地獄じゃないよね。 女は俯く。 そして、落胆したかのように小さく溜息を付く。
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