5 丸亀製麺

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女は顔を上げ、そして呆れたかのように述べる。 「焦らないで。貴方が地獄に憧れるその気持ち、  分からないでもないわ。  でも、正しく地獄を語るには、  正しく玉ねぎを語らないと駄目なのよ。  闇のその濃さや深さ、  そして底知れなさを讃えるためには、  光の美しさを語らなければならないのと同様に。」 「最近、私は玉ねぎをリスペクトしているのよ。  先週、一緒に八王子に行ったでしょ。」 そうだ、ラーメンを食べたいって言うから一緒に行ったね。 「そこで食べた八王子ラーメン、覚えてる?」 ああ、覚えている。 熱さを湛えた醤油スープにタップリの刻み玉ねぎが印象的だった。 「そう、その刻み玉ねぎよ。  刻み玉ねぎの香味とシャキシャキ感、  それらが八王子ラーメンに、  えも言われぬ妙味を与えているのよ。」 「あの熱さ漲るスープの中に浸された刻み玉ねぎ、  それはまさに妙味と言うに相応しいわ。  それぞれの刻み玉ねぎの外側は、  スープで熱せられて火が通っているが故の  甘さを湛えていて、  それに対して刻みたまねぎの内側は  まだ熱が通っていなくて、生の玉ねぎの  シャキシャキ感と香味が残っている。  それぞれの刻み玉ねぎの中に  味わいのグラデーションが存在するのよ。  恐るべし玉ねぎよ。」 刻み玉ねぎと言えば、綾瀬のラーメン屋でも出てきたね? 女は我が意を得たりとばかりに綾瀬で頂いたラーメン、そして玉ねぎについて語る。 「その通り、よく覚えてるわね。  綾瀬で食べた煮干しラーメンにも  刻み玉ねぎが乗っていたわ。  煮干しの香りも芳醇なセメント色の  コッテリスープに、荒く刻んだ玉ねぎの  そのザクザク感とツーンとした香味とが  また合うのよ。  スープの温度が然程高くないから、  玉ねぎの生の味わいがキープされているの。  それはそれでまた良しなの。  そして、ラーメンのみならず、  和え玉にも玉ねぎが乗っていたわね。  固めに茹でられた麺、  そしてかけられたタレとまた良く合うのよ。  あれも良い物だったわ。」 「そう、玉ねぎは偉大よ。  生のままでも色んなラーメンにマッチする。  火が通っていても、その甘みがラーメンの味わいに  更なる立体感を与える。  その出会いは予め定められていたかの如く。  もう、見事なまでに、  絶妙なまでに調和していたわ。」 「言うまでも無く、  今、頂いた野菜かき揚げの玉ねぎもまた偉大よ。    火の通ったその甘さと柔らかさは、  油と混じり合うことによってまろやかになる、  優しくなるのよ。」 玉ねぎ愛を語るばかりで、どんどんと地獄から遠ざかっているのだが? 「これからが、お待たせの地獄よ。  あなたの待ち望んだ地獄よ。」 「玉ねぎは偉大よ。  生であっても、火が通っていたとしても、  その時々の確たる持ち味があって、  そして組み合わせられた相手の持ち味を  より引き立てたり、料理全体に更なる深みを  与えたり、あるいは主役とも言える活躍すらも  見せたりもする。  そんな玉ねぎの器用さを知るにつれ、  そんな玉ねぎの世から求められている感を  知るにつれ、私自身の不器用さ、  私自身の世に必要とされていない  劣等感などといったものが、  私の中で際立ってしまうの。」 「玉ねぎの妙味が  ラーメンの味わいの輪郭をハッキリさせるように、  玉ねぎの存在の素晴らしさが、  この世における私の所在の無さなるものを  際立たせてしまうの。」 「だから、丸亀製麺は地獄なの。  玉ねぎに劣る私というものを  ハッキリと自覚させられるから。  この世における玉ねぎという概念の素晴らしさと  受け入れられ具合、  それに対する私という存在の、  その鴻毛の如き軽さ。  そのギャップをまざまざと突きつけられるのが、  そう、丸亀製麺なの。」 「故に地獄なのよ、丸亀製麺は。」 そして、女は悄然とした表情となる。 お盆の上に箸を置き、そして小さく溜息を付き、落胆したかのように俯く。 楽しげに玉ねぎの素晴らしさを語っていたと思ったら、急に落胆した態度を見せる。 訳が分からない。 しかし、女の悄然とした態度を目にすると、何か声を掛けずにはいられなかった。 いや、玉ねぎと競い合ったところで仕方ないでしょ。 そんなこと言い出したら、食べ物全てに劣等感を抱かなきゃいけなくなる。 玉ねぎと比べたら、そりゃ俺だって劣るよ。 そもそも野菜の良さと君の良さとは全然別物だと思う。 君にはちゃんと君の良さがある訳だし、それを分かって受け入れようとしている人間もいる訳だよ。 なんなら、野菜かき揚げをもう一つ食べる? 注文してくるよ? 女は顔を挙げ、そして微笑む。 「ありがとう、優しいのね。」 その表情はどこか寂しげで悲しげに見えた。 「ごめんなさい、色々と。」 え?
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