6 スターバックス

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こんな状況で、この言葉を発することは卑怯だと自分でも思った。 もっと異なる状況で、この言葉を口にしたかった。 できれば、お互いに笑顔を浮かべているような状況で。 例えば、一緒に何か美味しいものでも食べて、その幸せの余韻に一緒に浸っているような時にでも。 けれども、この言葉が女を苦悩の陥穽から救い出せるのならば、それでもいい。 そう思った。 女の横顔を見遣る。 俯き加減のその横顔に浮かぶ表情は悲しみ、 そして不安の色に満ちているようだった。 もう、今にも泣き出しそうにも思えてしまった。 その両の手は、膝の上で硬く握り締められているようだった。 握り締められた両の拳は、仄かに震えているようにも見えた。 俺は思う。 そんなに悲しむ必要も、 そんなに不安になる必要も全く無いのに、と。 泣きたくなるような切なさと、 そして暖かな気持ちとが俺の胸を満たしていく。 それらの気持ちが俺の体を行動へと駆り立てる。 俺は女の方に向き直る。 ハッとしたように顔をあげる女。 その瞳は潤んでいた。 両手を伸ばし、女のほっそりとした両の肩を掴む。 そして、その上半身を俺の方へと向き直らせる。 その顔に驚きの色を浮かべ、何かを言おうとする女。 女が言葉を発する前に、俺は呟くように言う。 「舞島さんの我儘って可愛いよ。  それに、ちゃんと自分でこれ以上はダメだって  範囲を弁えてるでしょ?  俺が嫌だって思う範囲はちゃんと分かった上で  いろいろしてるでしょ?  そんなの、我儘って言わないよ。  だから、俺にはもっともっと我儘になっていいよ。  もっともっと色んな話を聞かせてよ。  舞島さんが俺だけに我儘を言ってくれるのって、  俺は凄く嬉しいよ。  甘えてくれるのって、嬉しいんだよ。」 「ありがとう、正直に話してくれて。  頑張って話してくれて。辛かったね。」 女は今にも泣き出しそうな表情となる。 その唇を震わせ、何か言葉を発しようとした。 けれども、その震えは言葉を為さなかった。 女は一度、その口を閉じ、 そして再びその唇を震わせる。 その震えは消え入りそうな言葉となり、 俺の耳へと届き、鼓膜を震わせる。 今にも消え入りそうなその声の響きは、 彼女の心の震えそのものであるようにも感じられて。 「どうして…どうして…。  どうしてそんなに優しいの?」 何故か、笑いたいような気持ちが込み上げてくる。 分かりきっているくせに。 これだけ言えば、相応に聡い女のことだから分かるでしょ、と。 けれど、こうも思った。 これはちゃんと伝えなければ。 誤解の余地など微塵も無い、確たる言葉として。 それは、俺の覚悟でもあるから。 これから彼女の苦悩も受け止めていくという、 俺の覚悟でもあるから。 俺は女の瞳を見つめる。 潤んだその瞳からは、 今にも涙が零れ落ちそうだった。 その瞳の奥に宿る彼女の心は、 漲る期待と不安との狭間にて 揺らめいているようにも思えた。 出会ってからの様々なことが脳裏を過ぎる。 まぁ、何時言うか、タイミングを見計らっていただけだったのかもな、とも思う。 その簡単な言葉を発しようと息を吸い込む。 そして、その言葉を口にした。
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