7 スシロー

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7 スシロー

それは金曜の夜。 区内の職場からJR総武線にて帰宅中の俺は、自分のアパートがある荻窪駅に電車が到着するその少し前、紗花にその旨のメッセージを送った。 俺より早く職場から解放された紗花は、先に荻窪に行っていると一時間程前にメッセージにて告げていたのだ。 電車が荻窪駅に到着した。 電車の扉が開く。 電車から吐き出され、改札口へと向かう人の群れ。 その足取りはどこか軽やかに思えたし、漂うざわめきはどこか安息感を漂わせているようにも感じられた。 それは、漸く迎えた週末への期待が為せるものなのかもしれないし、或いは単に弾み始めた俺の心の投影だったのかもしれない。 改札口へと向かう途中、スマホに紗花からの返信メッセージが届く。 駅前のブックオフに居るとのことだった。 また何やらマニアックな知識でも仕入れ、そのうち俺に自慢げに披露しようとでも考えているのだろう。 唇の端に浮かび上がる微笑を噛み殺しつつ、俺は駅前のブックオフへと急ぐ。 ブックオフの前にて俺を待つ紗花はスーツ姿だった。最近はやや見慣れてきたものの、紗花のスーツ姿は何とも新鮮に思えてしまう。 普段の俺への態度が非常に「ゆるい」だけに、仕事の残滓を漂わせたようなそのスーツ姿は、平日の紗花は普通の社会人として過ごしているんだなとの軽い驚きを俺の心に呼び起こすようだった。 実際、職場での仕事ぶりは、それなりの評価を得ているようだ。 そのスーツは普段とは異なる大人びた雰囲気を紗花に纏わせ、私服の時とはまた異なる彼女の魅力を際立たせているようにも思えるのだった。 左肩にバッグを提げた紗花は、横断歩道を渡ってブックオフの前へと歩みを進める俺の姿を認めると、満面の笑みを浮かべながら体の前でその右手を小さく振り、そして、横断歩道を渡り終えた俺の方へと小走りで近付いてきた。 「待った?」と尋ねる俺。 「一週間待ったよ。」と嬉しげに、そして悪戯っぽく答える紗花。 待たせてごめんねと笑いながら答える俺。 会うのは日曜の夜以来だから、厳密には五日になる訳だが、まぁ、そんなことはどうでもいい。 自然に身を寄せ合い、どちらからとも無く指を絡め合い、手と手を繋ぐ俺と紗花。 十一月の初旬の空気、そして、その空気を揺らす微風。 それらは冷たさを帯び始めてはいたが、繋いだ紗花の手から伝わってくる温もりは俺の体だけでなく、やや疲れ気味の心をほんのりと、そしてじんわりと癒やし暖めてくれるようにも感じられた やや冷たさを孕んだ秋の微風が紗花の髪を揺らす。 仄かなシャンプーの匂いが俺の鼻を擽る。 週末の夜毎に間近で嗅いでいる匂いだ。 週末が訪れたとの感慨が、実感として漸く俺の心へと落ちてくるような思いだった。 俺たちが向かったのは、ブックオフから少し離れた場所にあるスシローだった。 昨夜に週末は何をしようと相談のメッセージをやり取りしている中で、金曜の夜は俺の部屋に行く前に一緒に何か食べていこうという話になり、そして、荻窪駅前のスシローに行こうという結論に落ち着いたのだ。 程なくしてスシローに到着した俺たちは、受付機で手続きをする。 金曜の夜だけあって、スシローはやや混んでいた。 家族連れが居るかと思えば、学生と思しき三、四人の男性グループが数組居る。 仕事帰りと思しき男性連れも居れば、俺たちと同様な男女連れの姿もまたある。 それぞれが浮かべる表情は、どこか開放感や安堵感を醸しているようにも思えた。 15分程待った後、俺と紗花はテーブルの席へと案内された。 タッチパネルを一緒に覗き込みながら、何を注文しようかと話し合う俺と紗花。 それぞれ好きなものを注文し、相手が注文した品が気になったら一貫貰うよう交渉するということに話は纏まり、俺も紗花もそれぞれが食べたい品を、取り敢えずは五皿程度づつ注文する。 回転寿司と名乗ってはいるものの、実際にはタッチパネルで注文した品が回転レーンにて手元へと届けられるとシステムな訳で、実態に合ってないんじゃないだろうかとも思いもするのだが、でも幾分かは回転レーンを彷徨う寿司も存在はするので、看板に偽り有りという程でもないのだろう。 そんなことを思いつつ回転レーンを巡る寿司を眺めていたら、紗花が例によって例の話を始める。 俺の安らかな思考を妨げるかの如く。 「回転寿司って、地獄よね。」
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