2 ベローチェ

1/2

9人が本棚に入れています
本棚に追加
/36ページ

2 ベローチェ

女の名は、舞島紗花(まいじまさな) 俺より三歳年下の24歳だ。 随分偉そうだし、 随分と知った風な口を聞いているが、 俺より年下の24歳だ。 今回のドトールのみならず、 これまで散々奢らされている。 そして、その度に「地獄」の話など、 ロクでも無いことを聞かされる。 まさにロクで無しだ。 まぁ、奢らされると言っても、 そんな大した額でもないので別にいいんだが。 舞島と知り合ったのは三ヶ月ほど前のこと。 それはとある夏の日のこと とある土曜のこと。 俺はその日、地下鉄の駅から這い出すように地上へと上がり、そして神保町は靖国通り沿いを歩いていた。 夕方に差し掛かっても暴力的としか言いようのない 真夏の太陽の灼き付けるような日差しに耐えかねて、 近くにあった書店に駆け込んだ。 特に何か求める本がある訳でもなかった。 書店の1階は人で犇めいていた。 雑誌コーナーに足を向けようと思ったものの、 満員電車もかくやと思わせるほど、 立ち読みの人でごった返していた。 束の間の涼を求めて入ったのに、 その中で人熱れに巻き込まれるのも 堪ったものではない。 やむを得ず、エスカレータで2階へと上がる。 1階とは打って変わって、 まるで違う店であるかのように2階の人の密度は低かった。 ようやく安堵はしたものの、 せめて本を探している風だけでも装おうと思い、 書棚の間をぶらぶらと歩く。 2階は文庫本のフロアらしく、 色とりどりの背表紙の文庫本が、 居並ぶ書棚にミッチリと詰め込まれている。 こんなにも詰め込まれたら本も暑かろう、 本にとっても地獄だろうに、と思いつつ 本棚に目を走らせる。 ふと思い浮かべた「地獄」という単語から、 以前に読んだとある本を思い出し、 何とは無しにその本を探してみる。 程無くしてその本を見つける。 『瓶詰めの地獄』なる本だ。 見つけてどうするという目的も無かったなと気が付く。 探していた本の隣に置いてある、 同じ著者のものと思しき 別の本の表紙が目に飛び込んでくる。 昭和レトロといった感の 退廃的な雰囲気の女性が描かれているが、 その姿はある意味で極めて露骨だった。 要するに、半裸の女性が表紙絵な訳だ。 意外と売れているのか、もう1冊しか残っていない。 ついつい、その本を手に取ってしまった。 左の方から「あ・・・」と呟くような声が聞こえる。 反射的に声のしたほうへと顔を向ける。 何ともシュールなTシャツが視界に飛び込んで来る。 「サザエさん」で出て来そうな、目つきの悪い ドラネコが描かれた黒いTシャツなのだが、 問題なのは、そのドラネコの下に「ブッコロス」 などと不穏な文字が書かれていることだ。 「ユーモア」と言うには 半歩ほど踏み外してしまっている感だ。 どこで買うんだ、そんなシュールなTシャツ。 ふと視線を上げ、持ち主の顔を見遣る。 意外なことに、その持ち主は女性だった。 それもそんなシュールなTシャツとは不釣り合いな、 嫋やかな雰囲気を湛えた女性だった。 年頃は25歳前後といったところか。 背丈は女性としては普通程度なのだろう。 鎖骨の下付近まで伸ばした、 軽やかなベージュ色の髪、 それに縁取られた色白の顔。 奥二重気味の切れ長の瞳、 そして、程良い高さの形の良い鼻に艶やかな唇。 人目を惹くという程では無いにせよ、 控えめながらもじんわりとした魅力を湛えている、 そんな印象だった。 ただ…その瞳には、どことなく生気が無かった。 『死んだ魚』とまでは言わないが、 『あと10分で死ぬ魚』と例えてもいい程度には 生気に欠けていた。 その女性のどこか気怠げで何となく 憂鬱そうな雰囲気は、その身に纏う、 そのシュールなTシャツに 妙に合っているように思えてしまった。
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加