入社

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 毎日掃除をしているうちに、片瀬には社員達の動向が見えてきた。敬語の使い方やお辞儀の角度の違い、電話の応対。トイレや喫煙室では、どの部署とどの部署が仕事のつながりがあるとか、上司の誰々が誰それと仲が悪いだとか、そんな情報が飛び交っていた。  片瀬は、試しに神宮寺産業の中途採用も受けてみた。この時初めて知ったのだが、半導体の製造が中心で、コンピュータ関連、通信関連から、百貨店、化粧品まで手広く事業を広げている大会社だった。  門前の小僧何とやらで、今までの就職活動ではできていなかった社会人としてのマナーが身に付いていたのかも知れない。採用通知が来た。  片瀬は総務に配属になった。あちこちの部署を総括して管理する部署だ。要は何でも屋で、煩雑な割には評価の低い仕事だと誰かがこぼしているのを聞いたことがある。だが片瀬は一生懸命駆け回った。フットワークがいいのが取り柄だ。コツを飲み込むのも早かった。  そんな片瀬が専務の神宮寺と初めて出会ったのは、社内の組織替えについての会議のときだった。  一通りの説明がすみ、各部署ごとの作業の確認をして終わる直前に彼は入ってきた。神宮寺のためだけにまた最初から説明と報告が繰り返される。みながウンザリを顔に出さぬよう能面のようになった。 「それ専門の部を作ればいい」  が、営業部がクレーム処理について報告したときだ。こちらに二度手間を掛けさせているくせに興味なさげに聞いていた神宮寺が、冷めた目つきでポツリと言った。 「クレームがありがたいというなら、クレーム処理部を作って購入者からクレームを募集すればいいだろう」  そんなことは今回の構想には入っていない。神宮寺の唐突な思いつきだ。もちろん説明用モニターに映っている新組織図の絵には、そんな名前の部署はない。  新しい物を突然組み入れるのはそう簡単ではない。スケジュールも予算も組み直しになる。他部署との調整だってやり直しだ。音頭を取っている片瀬の総務部には大きな負担がかかる。  が、専務の気まぐれな一声は有名だった。社長の御曹司であるお飾りながら、雰囲気だけは逆らいようがないものを持っていた。自分の意見が通らないわけがないという尊大さに満ちていた。  会議室はしん、と静まりかえった。  が、片瀬が沈黙を破った。
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