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神宮寺産業ビルの2ブロック先の喫茶店。少し端の欠けた「すばる」という看板。
片瀬と工藤が愛用している店だ。時々ここにガス抜きに来る。ようやく組織再編成の大仕事が終わり、少し忙しさの波がおさまった。いつも以上にゆっくりとコーヒーを味わいたかった。
「あちっ……」
啜り損ね、コーヒーがテーブルにポタポタと散る。
「片瀬さんて何でそうなんですか。毎度いきなり勢いよく吸い込みすぎ。猫舌のくせに」
思わず笑った工藤もそのせいでコーヒーを吹く。2人でおしぼりをネクタイやテーブルに押し付け合った。
「だって熱いうちが一番好きなんだ」
うまく啜るのは2度目以降。学習しないな、と片瀬は苦笑する。
そうして工藤とヨタ話に花が咲き、コーヒーのお代わりをするのがお約束だった。3杯目のコーヒーが空になったところで、2人は財布を出しながら立ち上がった。
「――ごちそうさま。おいしかったよ、沙樹ちゃん」
いつものように、片瀬はウエイトレスの沙樹に微笑んだ。
沙樹はぴょんと飛びはね、元気よく厨房からレジへ向かった。2人はまだテーブルの横に立ったまま、今日はどっちがおごるだの何だの言いながら、じゃんけんをし始めた。
沙樹はレジの横で頬杖をついて、片瀬の横顔を嬉しそうに見ている。
「なーに見とれてるの」
マスターが沙樹をからかう。
「片瀬さんの全部。特に『ごちそうさま』って優しい声がさ……あの物静かな言い方が好きなんだ」
からかい甲斐もないほど沙樹は素直で、マスターは肩をすくめた。
そのとき、入口のドアの鈴が鳴った。片瀬が顔を上げると、ネズミを連想させる貧弱な外見の男が入ってきた。神宮寺の秘書だ。続いて当然ながら神宮寺。2人とも肩が多少濡れている。
あまり会いたくない相手なので、片瀬と工藤は死角の席に座り直し、メニューなどで顔を隠した。
この店は暖かい雰囲気をたたえており、料理もいけるが、庶民的で決して高級感はない。現に神宮寺は入るなり、テーブルのビニールクロスの焼けこげに眉をひそめた。
「こんなところで食事するくらいなら外で待つ」
そのままくるりと踵を返す神宮寺を、ネズミ秘書がヘコヘコしながら押しとどめる。
「ですが、JAFが来るまで時間がかかりますし」
突然の雨、しかも車の故障らしい。
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