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出世
後日ネズミ君が一枚の紙を片瀬に渡しに来た。そこには秘書としての契約条件がしたためられていた。呈示された給料は本当に前の3倍だった。しかも住み込みという条件なので家賃が浮く。光熱費もいらない。スーツ等の衣装代も別手当。
「――どうしてこんなにいい条件を出してくれるんですか?」
「気に入らなければすぐまた別を探すからさ」
これが最後の仕事になるというネズミ君も採用されたのは3ヶ月前だという。一番もった秘書で半年という人使いの荒さ。何が気に障るかわからないという読みにくい性格。ネズミは、片瀬に敵対心を持つどころか同情していろいろ教えてくれた。やめておいた方がいいだろうという忠告と共に。
それでも片瀬は神宮寺の申し出を受けた。今よりいい病院に母を転院させることができる。入院費を気遣う母を安心させられる。借金も早く返すことができる。
「断ると思ったがな」
挨拶に行くと、神宮寺はそんな風に言った。自分の申し出を誰も断るわけはないという自信。そんなものがありありと見えるというのに。
頭を下げる人間と下げられる側の人間。そこには越えることのできない壁があるように思えた。
「金が要るんです」
片瀬の言葉に、神宮寺は、フフン、と皮肉めいた笑いを浮かべた。
「要らないヤツはいないさ」
これが出世と言えるのかどうかわからない。とにかくその日から、片瀬は神宮寺産業専務の秘書として駆け回ることになった。
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